いろ長くなって、いっしょに午飯を食う。いっしょに晩飯《ばんめし》を食う。その上|明日《あす》の会合まで約束して宅《うち》へ帰った。帰ったのは夜の九時頃である。文鳥の事はすっかり忘れていた。疲れたから、すぐ床へ這入《はい》って寝てしまった。
 翌日《あくるひ》眼が覚《さ》めるや否や、すぐ例の件を思いだした。いくら当人が承知だって、そんな所へ嫁にやるのは行末《ゆくすえ》よくあるまい、まだ子供だからどこへでも行けと云われる所へ行く気になるんだろう。いったん行けばむやみに出られるものじゃない。世の中には満足しながら不幸に陥《おちい》って行く者がたくさんある。などと考えて楊枝《ようじ》を使って、朝飯を済ましてまた例の件を片づけに出掛けて行った。
 帰ったのは午後三時頃である。玄関へ外套《がいとう》を懸《か》けて廊下伝いに書斎へ這入《はい》るつもりで例の縁側へ出て見ると、鳥籠が箱の上に出してあった。けれども文鳥は籠の底に反《そ》っ繰《く》り返《かえ》っていた。二本の足を硬く揃《そろ》えて、胴と直線に伸ばしていた。自分は籠の傍《わき》に立って、じっと文鳥を見守った。黒い眼を眠《ねぶ》っている。瞼《まぶた》の色は薄蒼《うすあお》く変った。
 餌壺《えつぼ》には粟《あわ》の殻《から》ばかり溜《たま》っている。啄《ついば》むべきは一粒もない。水入は底の光るほど涸《か》れている。西へ廻った日が硝子戸《ガラスど》を洩れて斜めに籠に落ちかかる。台に塗った漆《うるし》は、三重吉の云ったごとく、いつの間にか黒味が脱《ぬ》けて、朱《しゅ》の色が出て来た。
 自分は冬の日に色づいた朱の台を眺めた。空《から》になった餌壺を眺めた。空《むな》しく橋を渡している二本の留り木を眺めた。そうしてその下に横《よこた》わる硬い文鳥を眺めた。
 自分はこごんで両手に鳥籠を抱《かか》えた。そうして、書斎へ持って這入《はい》った。十畳の真中へ鳥籠を卸《おろ》して、その前へかしこまって、籠の戸を開いて、大きな手を入れて、文鳥を握って見た。柔《やわら》かい羽根は冷《ひえ》きっている。
 拳《こぶし》を籠から引き出して、握った手を開けると、文鳥は静に掌《てのひら》の上にある。自分は手を開けたまま、しばらく死んだ鳥を見つめていた。それから、そっと座布団《ざぶとん》の上に卸した。そうして、烈《はげ》しく手を鳴らした。
 十六にな
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