る小女《こおんな》が、はいと云って敷居際《しきいぎわ》に手をつかえる。自分はいきなり布団の上にある文鳥を握って、小女の前へ抛《ほう》り出した。小女は俯向《うつむ》いて畳を眺めたまま黙っている。自分は、餌《え》をやらないから、とうとう死んでしまったと云いながら、下女の顔を睥《にら》めつけた。下女はそれでも黙っている。
 自分は机の方へ向き直った。そうして三重吉へ端書《はがき》をかいた。「家人《うちのもの》が餌をやらないものだから、文鳥はとうとう死んでしまった。たのみもせぬものを籠へ入れて、しかも餌をやる義務さえ尽くさないのは残酷の至りだ」と云う文句であった。
 自分は、これを投函《だ》して来い、そうしてその鳥をそっちへ持って行けと下女に云った。下女は、どこへ持って参りますかと聞き返した。どこへでも勝手に持って行けと怒鳴《どな》りつけたら、驚いて台所の方へ持って行った。
 しばらくすると裏庭で、子供が文鳥を埋《うめ》るんだ埋るんだと騒いでいる。庭掃除《にわそうじ》に頼んだ植木屋が、御嬢さん、ここいらが好いでしょうと云っている。自分は進まぬながら、書斎でペンを動かしていた。
 翌日《よくじつ》は何だか頭が重いので、十時頃になってようやく起きた。顔を洗いながら裏庭を見ると、昨日《きのう》植木屋の声のしたあたりに、小《ち》さい公札《こうさつ》が、蒼《あお》い木賊《とくさ》の一株と並んで立っている。高さは木賊よりもずっと低い。庭下駄《にわげた》を穿《は》いて、日影の霜《しも》を踏《ふ》み砕《くだ》いて、近づいて見ると、公札の表には、この土手登るべからずとあった。筆子《ふでこ》の手蹟である。
 午後三重吉から返事が来た。文鳥は可愛想《かわいそう》な事を致しましたとあるばかりで家人《うちのもの》が悪いとも残酷だともいっこう書いてなかった。


底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年7月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年4月〜1972(昭和47)年1月にかけて刊行
入力:柴田卓治
校正:大野晋
1999年5月12日公開
1999年8月30日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)で作られました。入
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