集合体だと評しなければならない。
余が某氏の言《げん》に疑を挟《さしはさ》むのは、自分に最も密接の関係のある文壇の近状に徴《ちょう》して、決してそうではあるまいとの自信があるからである。政府は今日までわが文芸に対して何らの保護を与えていない。むしろ干渉のみを事とした形迹《けいせき》がある。それにもかかわらず、わが文学は過去数年の間に著るしい発展をした。余の見る所を以てすると、現今毎月刊行の文学雑誌に載る幾多《いくた》の小説の大部分は、英国の『ウィンゾー』などに続々現れてくる愚劣な小説よりも、どの位芸術的に書き流されているか分らない。既にこの数年の間にかほど進歩の機運が熟するとしたなら、突然それを阻害する事情の起らない限りは、文芸院などという不自然な機関の助けを藉《か》りて無理に温室へ入れなくても、野生のままで放って置けば、この先順当に発展するだけである。我々文士からいっても、好い加減な選り好みをされた上に、生中《なまなか》もやし扱いにされるのはありがたいものではない。
現代の文士が述作の上において要求する所のものは、国家を代表する文芸委員諸君の注意や批判や評価だと思うのは、政府の己
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