しました。が借金はなかなか済みません。借りたものは巴里だって返す習慣なのだから、いかな見え坊の細君もここに至って翻然《ほんぜん》節を折って、台所へ自身出張して、飯も焚《た》いたり、水仕事もしたり、霜焼《しもやけ》をこしらえたり、馬鈴薯《ばれいしょ》を食ったりして、何年かの後ようやく負債だけは皆済《かいさい》したが、同時に下女から発達した奥様のように、妙な顔と、変な手と、卑《いや》しい服装の所有者となり果てました。話はもう一段で済みます。
ある日この細君が例のごとく笊《ざる》か何かを提《さ》げて、西洋の豆腐《とうふ》でも買うつもりで表へ出ると、ふと先年|金剛石《ダイヤモンド》を拝借した婦人に出逢《であ》いました。先方は立派な奥様で、当方《こちら》は年期の明けた模範下女よろしくと云う有様だから、挨拶《あいさつ》をするのも、ちょっと面はゆげに見えたんでしょうが、思い切って、おやまあ御珍らしい事とか何とか話かけて見ると案のごとく、先方では、もうとくの昔に忘れています。下女に近付はないはずだがと云う風に構えていたところを、しょげ返りもせず、実はこれこれで、あなたの金剛石を弁償するため、こんな無理をして、その無理が祟《たた》って、今でもこの通りだと、逐一《ちくいち》を述べ立てると先方の女は笑いながら、あの金剛石は練物《ねりもの》ですよと云ったそうです。それでおしまいです。これは例のモーパッサン氏の作であります。最後の一句は大に振ったもので、定めてモーパッサン氏の大得意なところと思われます。軽薄な巴里《パリ》の社会の真相はさもこうあるだろう穿《うが》ち得て妙だと手を拍《う》ちたくなるかも知れません。そこがこの作の理想のあるところで、そこがこの作の不愉快なところであります。よくせきの場合だから細君が虚栄心を折って、田舎《いなか》育ちの山出し女とまで成り下がって、何年の間か苦心の末、身に釣り合わぬ借金を奇麗《きれい》に返したのは立派な心がけで立派な行動であるからして、もしモーパッサン氏に一点の道義的同情があるならば、少くともこの細君の心行きを活かしてやらなければすまない訳でありましょう。ところが奥さんのせっかくの丹精がいっこう活きておりません。積極的にと云うと言い過ぎるかも知れぬけれども、暗《あん》に人から瞞《だま》されて、働かないでもすんだところを、無理に馬鹿気《ばかげ》た働きをした事になっているから、奥さんの実着な勤勉は、精神的にも、物質的にも何らの報酬をモーパッサン氏もしくは読者から得る事ができないようになってしまいます。同情を表してやりたくても馬鹿気ているから、表されないのです。それと云うのは最後の一句があって、作者が妙に穿った軽薄な落ちを作ったからであります。この一句のために、モーパッサン氏は徳義心に富める天下の読者をして、適当なる目的物に同情を表する事ができないようにしてしまいました。同情を表すべき善行をかきながら、同情を表してはならぬと禁じたのがこの作であります。いくら真相を穿つにしても、善の理想をこう害しては、私には賛成できません。もう一つ例を挙《あ》げます。今度はゾラ君の番であります。御爺《おじい》さんが年の違った若い御嫁さんを貰います。結婚は致しましたが、どう云うものか夫婦の間に子ができません。それを苦《く》に病んで御爺さんが医者に相談をかけますと、医者は何でも答弁する義務がありますから、さよう、海岸へおいでになって何とか云う貝を召し上がったら子供ができましょうよと妙な返事をしました。爺さんは大喜びで、さっそく細君携帯で仏蘭西《フランス》の大磯辺に出かけます。するとそこに細君と年齢からその他の点に至るまで夫婦として、いかにも釣り合のいい男が逗留《とうりゅう》していまして細君とすぐ懇意になります。両人は毎日海の中へ飛び込んでいっしょに泳ぎ廻ります。爺さんは浜辺の砂の上から、毎日遠くこれを拝見して、なかなか若いものは活溌《かっぱつ》だと、心中ひそかに嘆賞しておりました。ある日の事三人で海岸を散歩する事になります。時に、お爺さんは老体の事ですから、石の多い浜辺を嫌《きら》って土堤《どて》の上を行きます。若い人々は波打際《なみうちぎわ》を遠慮なくさっさとあるいて参ります。ところが約《およそ》五六丁も来ると、磯際《いそぎわ》に大きな洞穴《ほらあな》があって、両人がそれへ這入《はい》ると、うまい具合と申すか、折悪《おりあし》くと申すか、潮が上げて来て出る事がむずかしくなりました。老人は洞穴《ほらあな》の上へ坐ったまま、沖の白帆を眺めて、潮が引いて両人の出て来るのを待っております。そこであまり退屈だものだから、ふと思出《おもいだ》して、例の医者から勧められた貝を出して、この貝を食っては待ち、食っては待って、とうとう潮が引いて、両人が出てくるまでにはよほど多量の貝を平げました。その場はそれで済みまして、いよいよ細君を連れて宅へ帰って見ますと、貝の利目《ききめ》はたちまちあらわれて、細君はその月から懐妊して、玉のような男子か女子か知りませんが生み落して老人は大満足を表すると云うのが大団円であります。ゾラ君は何を考えてこの著作を公けにされたものか存じませんが、私の考では前に挙《あ》げたモーパッサン氏よりもある方面に向って一歩進んだ理想がなくってはとうてい書きこなせない作物だと思います。よく下民の聚合《しゅうごう》する寄席《よせ》などへ参ると、時々妙な所で喝采《かっさい》する事があります。普通の人が眉《まゆ》を顰《ひそ》める所に限って喝采するから妙であります。ゾラ君なども日本へ来て寄席へでも出られたら、定めし大入を取られる事であろうと存じます。
現代文学は皆この弊に陥《おちい》っているとは無論断言しませんが、いろいろな点においてこの傾向を帯びていることは疑いもないと思います。そうしてこの傾向は真の一字を偏重視《へんちょうし》するからして起った多少病的の現象だと云うてもよいだろうと思います。諸君は探偵と云うものを見て、歯《よわい》するに足る人間とは思わんでしょう。探偵だって家《うち》へ帰れば妻もあり、子もあり、隣近所の付合は人並にしている。まるで道徳的観念に欠乏した動物ではない。たまには夜店で掛物をひやかしたり、盆栽の一鉢《ひとはち》くらい眺める風流心はあるかも知れない。しかしながら探偵が探偵として職務にかかったら、ただ事実をあげると云うよりほかに彼らの眼中には何もない。真を発揮すると云うともったいない言葉でありますが、まず彼らの職業の本分を云うと、もっとも下劣な意味において真を探ると申しても差支《さしつかえ》ないでしょう。それで彼らの職務にかかった有様を見ると一人前の人間じゃありません。道徳もなければ美感もない。荘厳の理想などは固《もと》よりない。いかなる、うつくしいものを見ても、いかなる善に対しても、またいかなる崇高な場合に際してもいっこう感ずる事ができない。できれば探偵なんかする気になれるものではありません。探偵ができるのは人間の理想の四分の三が全く欠亡して、残る四分の一のもっとも低度なものがむやみに働くからであります。かかる人間は人間としては無論通用しない。人間でない器械としてなら、ある場合にあっては重宝でしょう。重宝だから、警視庁でもたくさん使って、月給を出して飼っておきます。しかし彼らの職業はもともと器械の代りをするのだから、本人共もそのつもりで、職業をしている内は人間の資格はないものと断念してやらなくては、普通の人間に対して不敬であります。現代の文学者をもって探偵に比するのははなはだ失礼でありますが、ただ真の一字を標榜《ひょうぼう》して、その他の理想はどうなっても構わないと云う意味な作物を公然発表して得意になるならば、その作家は個人としては、いざ知らず、作家として陥欠《かんけつ》のある人間でなければなりません。病的と云わなければなりません。(四種の理想は同等の権利を有して相冒《あいおか》すべきものでないと、先に述べておきました。四種を同等に満足せしむる事は困難かも知れません。多少は冒す場合があるでしょう。その場合には冒されたものが、屏息《へいそく》し得るように、冒す方に偉大な特色がなければならぬのであります。この点においては、先に例証したオセロが一番弁護しやすいように思われます。ゾラとモーパッサンの例に至ってはほとんど探偵と同様に下品な気持がします)
文芸に四種の理想があるのは毎度|繰返《くりかえ》した通りでありまして、その四種がまたいろいろに分化して行く事も前に述べたごとくであります。この四種の理想は文芸家の理想ではあるが、ある意味から云うと一般人間の理想でありますからして、この四面に渉《わた》ってもっとも高き理想を有している文芸家は同時に人間としてももっとも高くかつもっとも広き理想を有した人であります。人間としてもっとも広くかつ高き理想を有した人で始めて他を感化する事ができるのでありますから、文芸は単なる技術ではありません。人格のない作家の作物は、卑近なる理想、もしくは、理想なき内容を与うるのみだからして、感化力を及ぼす力もきわめて薄弱であります。偉大なる人格を発揮するためにある技術を使ってこれを他の頭上に浴せかけた時、始めて文芸の功果は炳焉《へいえん》として末代までも輝き渡るのであります。輝き渡るとは何も作家の名前が伝わるとか、世間からわいわい騒がれると云う意味で云うのではありません。作家の偉大なる人格が、読者、観者もしくは聴者の心に浸み渡って、その血となり肉となって彼らの子々孫々まで伝わると云う意味であります。文芸に従事するものはこの意味で後世に伝わらなくては、伝わる甲斐《かい》がないのであります。人名辞書に二行や三行かかれる事は伝わるのではない。自分が伝わるのではない。活版だけが伝わるのであります。自己が真の意味において一代に伝わり、後世に伝わって、始めて我々が文芸に従事する事の閑事業でない事を自覚するのであります。始めて自己が一個人でない、社会全体の精神の一部分であると云う事実を意識するのであります。始めて文芸が世道人心に至大の関係があるのを悟るのであります。我々は生慾の念から出立して、分化の理想を今日《こんにち》まで持続したのでありますから、この理想をある手段によって実現するものは、我々生存の目的を、一層高くかつ大いにした功蹟《こうせき》のあるものであります。もっとも偉大なる理想をもっともよく実現するものは我々生存の目的をもっともよく助長する功蹟のあるものであります。文芸の士はこの意味においてけっして閑人《かんじん》ではありません。芭蕉《ばしょう》のごとく消極的な俳句を造るものでも李白のような放縦な詩を詠ずるものでもけっして閑人ではありません。普通の大臣豪族よりも、有意義な生活を送って、皆それぞれに人生の大目的に貢献しております。
理想とは何でもない。いかにして生存するがもっともよきかの問題に対して与えたる答案に過ぎんのであります。画家の画、文士の文、は皆この答案であります。文芸家は世間からこの問題を呈出されるからして、いろいろの方便によって各自が解釈した答案を呈出者に与えてやるに過ぎんのであります。答案が有力であるためには明暸《めいりょう》でなければならん、せっかくの名答も不明暸であるならば、相互の意志が疏通せぬような不都合に陥ります。いわゆる技巧と称するものは、この答案を明暸にするために文芸の士が利用する道具であります。道具は固《もと》より本体ではない。
そこで諸君はわかったと云われるかも知れぬ。またはわからぬと云われるかも知れぬ。分った方《かた》はそれでよろしいが、分らぬ方には少々説明をしなければなりません。ただいま技巧は道具だと申しました。そう一概に云うと明暸《めいりょう》なようであるが退《しりぞ》いて考えるとなかなかわかりにくい。技巧とは何だと聴かれた時に、たいてい困ります。普通は思想をあらわす、手段だと云いますが、その手段によって発表される思想だからして、思想を離れて、手段だけを考
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