と同じ事であります。普通の場合においてこれを忘れる事ができんのは、ある間は作者の意識連続と一致し、あるときはこれを離れるから、我は依然として我、彼は依然として彼なのであります。一致している際に蚤《のみ》に食われて急に我に帰り、時計が鳴ってにわかに我に帰るというようであるから、間髪を容《い》れざる完全の一致より生ずる享楽を擅《ほしいま》まにする事ができんのであります。かくのごとく自己の意識と作家の意識が離れたり合ったりする間は、読書でも観画でも、純一無雑と云う境遇に達する事はできません。これを俗に邪魔が這入《はい》るとも、油を売るとも、散漫になるとも云います。人によると、生涯《しょうがい》に一度も無我の境界に点頭し、恍惚《こうこつ》の域に逍遥《しょうよう》する事のないものがあります。俗にこれを物に役《えき》せられる男と云います。かような男が、何かの因縁《いんねん》で、急にこの還元的一致を得ると、非常な醜男子《ぶおとこ》が絶世の美人に惚《ほ》れられたように喜びます。
「意識の連続」のうちで比較的連続と云う事を主にして理想があらわれてくると、おもに文学ができます。比較的意識そのものの内容を主にして理想があらわれて来ると絵画が成立します。だからして前者の理想はおもに意識の推移する有様であらわれて来ます。したがってこの推移法が理想的に行く作物は、読者をして還元的感化をうけやすくします。これを動の還元的感化と云います。それから後者の理想はおもに意識の停留する有様であらわれて来ます。だから停留法がうまく行くと、すなわち意識が停留したいところを見計って、その刹那《せつな》を捕えると、観者をして還元的感化をうけやすくします。これを静の還元的感化と云います。しかしながらこれは重なる傾向から文学と絵画を分ったまでで、その実は截然《せつぜん》とこう云う区別はできんのであります。しばらくこの二要素を文学の方へかためて申しますと、推移の法則は文学の力学として論ずべき問題で、逗留《とうりゅう》の状態は文学の材料として考えるべき条項であります。双方とも批評学の発達せぬ今日は誰も手を着けておりませんから、研究の余地は幾らでもあります。私は自分の文学論のうちに、不完全ながら自分の考えだけは述べておきましたから、御参考を願います。固《もと》より新たに開拓する領土の事でありますから、御参考になるほどにはできておりません。けれども、あの議論の上へ上へとこれからの人が、新知識を積んで行って、私の疎漏《そろう》なところを補い、誤謬《ごびゅう》のあるところを正して下さったならば、批評学が学問として未来に成立せんとは限らんだろうと思います。私はある事情から重に創作の方をやる考えでありますから、向後この方面に向って、どのくらいの貢献ができるか知れませんが、もし篤実な学者があって、鋭意にそちらを開拓して行かれたならば、学界はこの人のために大いなる利益を享《う》けるに相違なかろうと確信しております。
最後に一言を加えます。我々は生きたい生きたいと云う下司《げす》な念を本来持っております。この下司な了見《りょうけん》からして、物我の区別を立てます。そうしていかなる意識の連続を得んかという選択の念を生じ、この選択の範囲が広まるに従って一種の理想を生じ、その理想が分岐して、哲学者(または科学者)となり、文芸家となり実行家となり、その文芸家がまた四種の理想を作り、かつこれを分岐せしめて、各自に各自の欲する意識の連続を実現しつつあるのであります。要するに皆いかにして存在せんかの生活問題から割り出したものに過ぎません。だからして何をやろうとけっして実際的の利害を外《はず》れたことは一つもないのであります。世の中では芸術家とか文学家とか云うものを閑人《ひまじん》と号して、何かいらざる事でもしているもののように考えています。実を云うと芸術家よりも文学家よりもいらぬ事をしている人間はいくらでもあるのです。朝から晩まで車を飛ばせて馳《か》け廻っている連中のうちで、文学者や芸術家よりもいらざる事をしている連中がいくらあるか知れません。自分だけが国家有用の材だなどと己惚《うぬぼ》れて急がしげに生存上十人前くらいの権利があるかのごとくふるまってもとうてい駄目《だめ》なのです。彼らの有用とか無用とかいう意味は極めて幼稚な意味で云うのですから駄目であります。怒るなら、怒ってもよろしい、いくら怒っても駄目であります。怒るのは理窟《りくつ》が分らんから怒るのです。怒るよりも頭を下げてその訳でも聞きに来たらよかろうと思います。恐れ入って聞きにくればいつでも教えてやってよろしい。――私なども学校をやめて、縁側《えんがわ》にごろごろ昼寝《ひるね》をしていると云って、友達がみんな笑います。――笑うのじゃない、実は羨《うらや》ましいのかも知れません。――なるほど昼寝は致します。昼寝ばかりではない、朝寝も宵寝《よいね》も致します。しかし寝ながらにして、えらい理想でも実現する方法を考えたら、二六時中車を飛ばして電車と競争している国家有用の才よりえらいかも知れない。私はただ寝ているのではない、えらい事を考えようと思って寝ているのである。不幸にしてまだ考えつかないだけである。なかなかもって閑人ではない。諸君も閑人ではない。閑人と思うのは、思う方が閑人である、でなければ愚人である。文芸家は閑が必要かも知れませんが、閑人じゃありません。ひま人と云うのは世の中に貢献する事のできない人を云うのです。いかに生きてしかるべきかの解釈を与えて、平民に生存の意義を教える事のできない人を云うのです。こう云う人は肩で呼吸《いき》をして働いていたって閑人です。文芸家はいくら縁側に昼寝をしていたって閑人じゃない。文芸家のひま[#「ひま」に傍点]とのらくら華族や、ずぼら金持のひま[#「ひま」に傍点]といっしょにされちゃ大変だ。だから芸術家が自分を閑人と考えるようじゃ、自分で自分の天職を抛《なげう》つようなもので、御天道様《おてんとうさま》にすまない事になります。芸術家はどこまでも閑人じゃないときめなくっちゃいけない。いくら縁側に昼寝をしても閑人じゃないときめなくっちゃいけない。しかしこれだけ大胆にひま人じゃないと主張するためには、主張するだけの確信がなければなりません。言葉を換《か》えて云うといかにして活きべきかの問題を解釈して、誰が何と云っても、自分の理想の方が、ずっと高いから、ちっとも動かない、驚かない、何だ人生の意義も理想もわからぬくせに、生意気を云うなと超然と構えるだけに腹ができていなければなりません。これだけにできていなければ、いくら技巧があっても、書いたものに品位がない。ないはずである。こう書いたら笑われるだろう、ああ云ったら叱《しか》られるだろうと、びくびくして筆を執《と》るから、あの男は腹の中がかたまっておらん、理想が生煮《なまにえ》だ、という弱点が書物の上に見え透《す》くように写っている、したがっていかにも意気地《いくじ》がない。いくら技巧があったって、これじゃ人を引きつけることもできん、いわんや感化をやであります。またいわんや還元的感化をやであります。こんな文芸家を称して閑人と云うのであります。正木君の云われた市気匠気と云うのは、かかる閑人の文芸家に着いて廻るのであります。要するに我々に必要なのは理想である。理想は文に存するものでもない、絵に存するものでもない、理想を有している人間に着いているものである。だからして技巧の力を藉《か》りて理想を実現するのは人格の一部を実現するのである。人格にない事を、ただ句を綴《つづ》り章を繋《つな》いで、上滑りのするようにかきこなしたって、閑人に過ぎません。俗にこれを柄《がら》にないと申します。柄にない事は、やっても閑人でやらなくても閑人だから、やらない方が手数が省けるだけ得になります。ただ新しい理想か、深い理想か、広い理想があって、これを世の中に実現しようと思っても、世の中が馬鹿でこれを実現させない時に、技巧は始めてこの人のため至大な用をなすのであります。一般の世が自分が実世界における発展を妨げる時、自分の理想は技巧を通じて文芸上の作物としてあらわるるほかに路がないのであります。そうして百人に一人でも、千人に一人でも、この作物に対して、ある程度以上に意識の連続において一致するならば、一歩進んで全然その作物の奥より閃《ひら》めき出ずる真と善と美と壮に合して、未来の生活上に消えがたき痕跡《こんせき》を残すならば、なお進んで還元的感化の妙境に達し得るならば、文芸家の精神|気魄《きはく》は無形の伝染により、社会の大意識に影響するが故に、永久の生命を人類内面の歴史中に得て、ここに自己の使命を完《まっと》うしたるものであります。
[#地付き]――明治四十年四月東京美術学校において述――
底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年7月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
1971(昭和46)年4月〜1972(昭和47)年1月
※底本で、表題に続いて配置されていた講演の日時と場所に関する情報は、ファイル末に地付きで置きました。
入力:柴田卓治
校正:大野晋
2000年4月11日公開
2008年5月1日修正
青空文庫作成ファイル:
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