、物我の区別がこれでつきます。そこがいらざる葛藤《かっとう》で、また必要な便宜なのであります。
 こう云うと、私は自分(普通に云う自分)の存在を否定するのみならず、かねてあなた方《がた》の存在をも否定する訳になって、かように大勢傍聴しておられるにもかかわらず、有れども無きがごとくではなはだ御気の毒の至りであります。御腹も御立ちになるでしょうが、根本的の議論なのだから、まず議論として御聴きを願いたい。根本的に云うと失礼な申条だがあなた方は私を離れて客観的に存在してはおられません。――私を離れてと申したが、その私さえいわゆる私としては存在しないのだから、いわんやあなた方においてをやであります。いくら怒られても駄目《だめ》であります。あなた方はそこにござる。ござると思ってござる。私もまあちょっとそう思っています。います事は、いますがただかりにそう思って差し上げるまでの事であります。と云うものは、いくらそれ以上に思って上げたくてもそれだけの証拠《しょうこ》がないのだから仕方がありません。普通に物の存在を確《たしか》めるにはまず眼で見ますかね。眼で見た上で手で触れて見る。手で触れたあとで、嗅《か
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