いが、一歩を超《こ》えて真のために美を傷つける、善をそこなう、荘厳を踏み潰《つぶ》すとなっては、真派の人はそれで万歳をあげる気かも知れぬが美党、善党、荘厳党は指を啣《くわ》えて、ごもっともと屏息《へいそく》している訳には行くまいと思います。目的が違うんだから仕方がないと云うのは、他に累《るい》を及ぼさない範囲内において云う事であります。他に累を及ぼさざるものが厳として存在していると云う事すら自覚しないで、真の世界だ、真の世界だと騒ぎ廻るのは、交通便利の世だ、交通便利の世だと、鈴をふり立てて、電車が自分勝手な道路を、むちゃくちゃに駆《か》けるようなものである。電車に乗らなければ動かないと云うほどな電車|贔屓《びいき》の人なら、それで満足かも知れぬが、あるいたり、ただの車へ乗ったり、自転車を用いたりするもののためには不都合この上もない事と存じます。
 もっとも文芸と云うものは鑑賞の上においても、創作の上においても、多少の抽出法《ちゅうしゅつほう》を含むものであります。(抽出法については文学論中に愚見を述べてありますから御参考を願いたい)その極端に至ると妙な現象が生じます。たとえば、かの裸体
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