ためには、自分が一人合点《ひとりがてん》で、自分一人の路をあるいていてはできない。つまり向うから来る人、横から来る人も、それぞれ相当の用事もあり、理由もあるんだと認めるだけに、世間が広くなければなりません。ところが狭く深くなると前に云うた御医者のようにそれができなくなる。抽出法《ちゅうしゅつほう》と云って、自分の熱心なところだけへ眼をつけて他の事は皆抽出して度外に置いてしまう。度外に置く訳である。他の事は頭から眼に這入《はい》って来ないのであります。そうなると本人のためには至極《しごく》結構であるが、他人すなわち同方向に進んで行かない人にはずいぶん妨害になる事があります。妨害になると云う事を知っていれば改良もするだろうが、自己の世界が狭くて、この狭い世界以外に住む人のある事を認識しない原因から起るとすれば、どうする事もできません。現代の文芸で真を重んずるの弊は、こうなりはしまいかと思うのであります。否現にこうなりつつあると私は認めているのであります。
 真を重んずるの結果、真に到着すれば何を書いても構わない事となる。真を発揮するの結果、美を構わない、善を構わない、荘厳を構わないまではよ
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