うちではこの種の情緒を理想とするものは現代においてはほとんどないように思います。この理想にも分化があるのは無論です。楠公《なんこう》が湊川《みなとがわ》で、願くは七たび人間に生れて朝敵を亡《ほろ》ぼさんと云いながら刺しちがえて死んだのは一例であります。跛《びっこ》で結伽《けっか》のできなかった大燈国師が臨終に、今日こそ、わが言う通りになれと満足でない足をみしりと折って鮮血が法衣を染めるにも頓着《とんじゃく》なく座禅のまま往生したのも一例であります。分化はいろいろできます。しかしその標準を云うとまず荘厳に対する情操と云うてよろしかろうと思います。
 これで文芸家の理想の種類及びその説明はまず一と通り済みました。概括すると、一が感覚物そのものに対する情緒。(その代表は美的理想)二が感覚物を通じて知、情、意の三作用が働く場合でこれを分って、(い)知の働く場合(代表は真に対する理想)(ろ)情の働く場合(代表は愛に対する理想及び道義に対する理想)(は)意志の働く場合(代表は荘厳に対する理想)となります。この四大別の上に連想から来る情緒がいかにして混入するかを論じなければならんのですが、これも時間
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