かんじん》の林檎は忘れて、ただ三の数《すう》だけに重きをおくようになります。文芸家にとっても関係を明かにする必要はあるが、これを明かにするのは従前よりよくこの関係を味わい得るために、明かにするのだからして、いくら明かになるからと云うて、この関係を味わい得ぬ程度までに明かにしては何にもならんのであります。だから三と云う関係を知るのは結構だが林檎《りんご》と云う果物を忘るる事はとうてい文芸家にはできんのであります。文芸家の意志を働かす場合もその通りであります。物の関係を改造するのが目的ではない、よりよく情を働かし得るために改造するのである。からして情の活動に反する程度までにこの関係を新《あらた》にしてしまうのは、文芸家の断じてやらぬ事であります。松の傍《かたわら》に石を添える事はあるでしょうが、松を切って湯屋に売払う事はよほど貧乏しないとできにくい。せっかくの松を一片の煙としてしまうともう、情を働かす余地がなくなるからであります。して見ると文芸家は「物の関係を味わうものだ」と云う句の意味がいささか明暸《めいりょう》になったようであります。すなわち物の関係を味わい得んがためには、その物がどこ
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