せようか、またいかなる意識の内容を選ぼうか、理想はこの二つになって漸々《ぜんぜん》と発展する。後に御話をする文学者の理想もここから出て参るのであります。
 次に連続と云う字義をもう一遍|吟味《ぎんみ》してみますと、前にも申す通り、ははあ連続している哩《わい》と相互の区別ができるくらいに、連続しつつある意識は明暸《めいりょう》でなければならぬはずであります。そうして、かように区別し得る程度において明暸なる意識が、新陳代謝すると見ると、甲が去[#「去」に白丸傍点]って乙が来[#「来」に白丸傍点]ると云う順序がなければならぬはずであります。順序があるからには甲乙が共に意識せられるのではない。甲が去った後で、乙を意識するのであるから、乙を意識しているときはすでに甲は意識しておらん訳です。それにもかかわらず甲と乙とを区別する事ができるならば、明暸なる乙の意識の下には、比較的不明暸かは知らぬが、やはり甲の意識が存在していると見做《みな》さなければなりません。俗にこの不明暸な意識を称して記憶と云うのであります。だからして記憶の最高度はもっとも明暸なる上層の意識で、その最低度はもっとも不明暸なる下層の
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