と同じ事であります。普通の場合においてこれを忘れる事ができんのは、ある間は作者の意識連続と一致し、あるときはこれを離れるから、我は依然として我、彼は依然として彼なのであります。一致している際に蚤《のみ》に食われて急に我に帰り、時計が鳴ってにわかに我に帰るというようであるから、間髪を容《い》れざる完全の一致より生ずる享楽を擅《ほしいま》まにする事ができんのであります。かくのごとく自己の意識と作家の意識が離れたり合ったりする間は、読書でも観画でも、純一無雑と云う境遇に達する事はできません。これを俗に邪魔が這入《はい》るとも、油を売るとも、散漫になるとも云います。人によると、生涯《しょうがい》に一度も無我の境界に点頭し、恍惚《こうこつ》の域に逍遥《しょうよう》する事のないものがあります。俗にこれを物に役《えき》せられる男と云います。かような男が、何かの因縁《いんねん》で、急にこの還元的一致を得ると、非常な醜男子《ぶおとこ》が絶世の美人に惚《ほ》れられたように喜びます。
「意識の連続」のうちで比較的連続と云う事を主にして理想があらわれてくると、おもに文学ができます。比較的意識そのものの内容を主
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