のであります。かくして六尺の人は一尺に足らぬ頭と煎《せん》じつめられたのであります。
 してみると沙翁の句は一方において時間を煎じつめ、一方では空間を煎じつめて、そうして鮮《あざや》かに長時間と広空間とを見せてくれております。あたかも肉眼で遠景を見ると漠然《ばくぜん》としているが、一《ひと》たび双眼鏡をかけると大きな尨大《ぼうだい》なものが奇麗《きれい》に縮まって眸裡《ぼうり》に印するようなものであります。そうしてこの双眼鏡の度を合わしてくれるのがすなわち沙翁なのであります。これが沙翁の句を読んで詩的だと感ずる所以《ゆえん》であります。
 ところがデフォーの文章を読んで見るとまるで違っております。この男のかき方は長いものは長いなり、短いものは短いなりに書き放して毫《ごう》も煎じつめたところがありません。遠景を見るのに肉眼で見ています。度を合せぬのみか、双眼鏡を用いようともしません。まあ智慧《ちえ》のない叙方と云ってよいでしょう。あるいは心配して読者の便宜《べんぎ》をはかってくれぬ書き方、呑気《のんき》もしくは不親切な書き方と云っても悪くはありますまい。もしくは伸縮方を解せぬ、弾力性のない文章と評しても構わないでしょう。汽車電車は無論人力さえ工夫する手段を知らないで、どこまでも親譲りの二本足でのそのそ歩いて行く文章であります。したがって散文的の感があるのです。散文的な文章とは馬へも乗れず、車へも乗れず、何らの才覚がなくって、ただ地道《じみち》に御拾いでおいでになる文章を云うのであります。これはけっして悪口ではありません、御拾いも時々は結構であります。ただ年が年中足を擂木《すりこぎ》にして、火事見舞に行くんでも、葬式の供に立つんでも同じ心得で、てくてくやっているのは、本人の勝手だと云えば云うようなものの、あまり器量のない話であります。デフォーははなはだ達筆で生涯《しょうがい》に三百何部と云う書物をかきました。まあ車夫のような文章家なのです。
 これで二家の文章の批評は了《おわ》ります。この批評によって、我々の得た結論は何であるかと云うと、文芸に在《あ》って技巧は大切なものであると云う事であります。もし技巧がなければせっかくの思想も、気の毒な事に、さほどな利目《ききめ》が出て来ない。沙翁とデフォーは同じ思想をあらわしたのでありますが、その結果は以上のごとく、大変な相違を来《きた》します。思想が同じいのにこれほどな相違が出るのは全く技巧のためだと結論します。近頃日本の文学者のある人々は技巧は無用だとしきりに主張するそうですが、いまだ明暸《めいりょう》なる御考えを承《うけたまわ》った事がないから、何とも申されませんが、以上の説明によると、文芸家である以上は、技巧はどうしても捨てる訳には、参るまいと信じます。そうして以上の説明はけっして論理その他の誤謬《ごびゅう》を含んでおらんと信じます。有名な人の作曲さえやれば、どんな下手が奏しても構わないと云う御主意ならば文章も技巧は無用かも知れませんが、私にはそうは思われません。そうして技巧を無用視せらるる方《かた》のうちには人生に触れなくては駄目だ、技巧はどうでもよい、人生に触れるのが目的だと言われる人が大分あるようですが、これもまだ明暸な説明を承った事がないから何の意味だか了解できませんが、この言葉を承わるたびに何だか妙な心持がします。ただ触れろ触れろと仰《おおせ》があっても、触れる見当《けんとう》がつかなければ、作家は途方に暮れます。むやみに人生だ人生だと騒いでも、何が人生だか御説明にならん以上は、火の見えないのに半鐘を擦《す》るようなもので、ちょっと景気はいいようだが、どいたどいたと駆《か》けて行く連中は、あとから大に迷惑致すだろうと察せられます。人生に触れろと御注文が出る前に、人生とはこんなもの、触れるとはあんなもの、すべてのあんな、こんなを明暸にしておいてさてかような訳だから技巧は無用じゃないかと仰せられたなら、その時始めて御相手を致しても遅くはなかろうと思って、それまでは差し控える事に致しております。もし私の方で申す人生に触れるという意味が御承知になりたければ今じきに明暸なる御答えを仕《つかまつ》ってもよろしいが、ついでもある事だから、次の節まで待っていただきましょう。
 御待遠だといかぬから、すぐさま次の節に移って弁じます。文学者の一部分で、しきりに触れろ触れろと云い、技巧は無用だ無用だと云っているに反して、画家の方では――画家は我々のように騒々しくない、おとなしく勉強しておられるから、むやみに三《み》つ番《ばん》は敲《たた》かれぬようであるが――しかしその実行しておられるところを拝見すると、触れるの触れぬのと云う事は頓着《とんじゃく》なくただ熱心に技術を研《みが》いておられるように
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