lies と云うと有形的な物体に適用せらるる文字である。だから uneasy と読んで、どちらの uneasy かと迷う間もなく、直 lies と云う字に接続するからして uneasy の意味は明確になってくる。するとまたこう非難する人が出るかも知れぬ。――lies にも両様がある。有形物について云う事は無論であるが無形物についてもよく使う字である。だから uneasy lies では君の云うように判然たる印象は起って来ないと。この非難に対する私の弁解はこうであります。 uneasy lies では印象が起らぬと云うなら第三字目の head という字を読んで見るがよかろう。head は具体的のものである。よし head までも比喩的な意味に解せられるとしても uneasy lies the head と続けて読んで、しかもこの head を抽象的な能力とか知力とか解釈する者はあるまい。誰でも具体的の髪の生えた頭と解釈するであろう。head を具体的と解する以上は lies も無論有形物の lie する有様に相違ない。してみると uneasy もまた形態に関係のない目に見えぬ意味とは取りにくい。しかもその uneasy な有様はいつまで続くか無論わからないが、よし長時間続く状態にしても、いやしくも続いている間は、いつでも目に見える状態である。いつでも見える状態であるからして、そのいずれの一瞬間を截《た》ち切ってもその断面は長い全部を代表する事ができる、語を換えて云えば、十年二十年の状態を一瞬の間につづめたもの、煮つめたもの、煎《せん》じつめたものを脳裏《のうり》に呼び起すことができると。そこでこの煮つめたところ、煎じつめたところが沙翁の詩的なところで、読者に電光の機鋒《きほう》をちらっと見せるところかと思います。これは時間の上の話であります。長い時間の状態を一時に示す詩的な作用であります。
 ところで沙翁《さおう》には今一つの特色があります。上述の時間的なるに対してこれは空間的と云うてもよかろうと思います。すなわちこういう解剖なのです。帝王と云う字は具体の名詞か抽象の名詞かと問えば、誰も具体と答えるだろうと思います。なるほど具体名詞に相違ないです。けれどもただ具体的だと承知するばかりで、明暸《めいりょう》な印象は比較的出にくいのです。帝王の画を眼前でかいて見ろと云われても、すぐと図案は拵《こしら》えられんだろうと思います。私共の脳中にはこの帝王と云うものがすこぶる漠然《ばくぜん》として纏《まとま》らない図になって畳み込まれています。ところへ the head that wears a corwn と云われると、帝王と云う観念が急に判然とします。なぜかと云うと、今までは具体であるということだけが解っていたけれど、局部の知識はすこぶる曖昧《あいまい》で取とめがつかなかったのであります。あたかも度の合わぬ眼鏡で物を見るように、その物は独立して存在しているが他の物と独立している事だけが明暸で、その物の内容は朦朧《もうろう》としておったのであります。ところが uneasy lies the head that wears a crown と云われたので焼点《しょうてん》が急にきまったような心持がするのであります。帝王と云えば個人として帝王の全部を想像せねばならん、全部を想像すると勢《いきおい》ぼんやりする。ぼんやりしないために、局部を想像しようとすると、局部がたくさんあるので、どこを想像してよいか分りません。そこで沙翁は多くある局部のうちで、ここを想像するのが一番いいと教えてくれたのであります。その教えてくれたのは、帝王の足でもない、手でもない。乃至《ないし》は背骨《せぼね》でもない。もしくは帝王の腹の中でもない。彼が指さして、あすこだけを注意して御覧、king がよく見えると教えてくれた所は、燦爛《さんらん》たる冠を戴《いただ》く彼の頭であります。この注意をうけた吾々《われわれ》は今まで全局に眼をちらつかせて要領を得んのに苦しんでいたのに、かく注意を受けたから、試みにその方へ視線をむけると、なるほど king が見えたのであります。明暸なのは局部に過ぎぬけれども、この局部が king を代表してしかるべき精髄であるからして、ここが明暸に見えれば全体を明暸に見たと同じ事になる。取《とり》も直《なお》さず物を見るべき要点を沙翁が我々に教えてくれたのであります。この要点は全体を明かにするにおいて功力があるのみならず、要点以外に気を散らす必要がなく、不要の部分をことごとく切り棄てる事もできるからして、読者から云えば注意力の経済になる。この要点を空間に配して云うと、沙翁は king と云う大きなものを縮めて、単なる「冠を戴く頭」に変化さしてくれた
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