る)つまりはスペースと云うものがあって、万物はその中に、各《おのおの》、ある席を占めている。次に今日の演説は一時から始まります。そうしていつ終るか分りませんが、まあいつか終るでしょう。大概は日が暮れる前に終る事と思います。私がこうやって好加減《いいかげん》な事をしゃべって、それが済むとあとから、上田さんが代ってまた面白い講話がある。それから散会となる。私の講話も、上田さんの演説も皆経過する事件でありまして、この経過は時間と云うものがなければ、どうしても起る訳に参りません。これも明暸《めいりょう》な事で別段改めて申上げる必要はない。最後に、なぜ私がここにこうやって出て来て、しきりに口を動かしているかと云えば、これは酔狂《すいきょう》や物数奇《ものずき》で飛出して来たと思われては少し迷惑であります。そこにはそれ相当な因縁《いんねん》、すなわち先刻申上げた大村君の鄭重《ていちょう》なる御依頼とか、私の安受合とか、受合ったあとの義務心とか、いろいろの因縁《いんねん》が和合したその結果かくのごとくフロックコートを着て参りました。この関係を(人事、自然に通じて)因果《いんが》の法則と称《とな》えております。
 すると、こうですな。この世界には私と云うものがありまして、あなた方《がた》と云うものがありまして、そうして広い空間の中におりまして、この空間の中で御互に芝居をしまして、この芝居が時間の経過で推移して、この推移が因果の法則で纏《まと》められている。と云うのでしょう。そこでそれにはまず私と云うものがあると見なければならぬ、あなた方があると見なければならぬ。空間というものがあると見なければならぬ。時間と云うものがあると見なければならぬ。また因果の法則と云うものがあって、吾人《ごじん》を支配していると見なければならん。これは誰も疑うものはあるまい。私もそう思う。
 ところがよくよく考えて見ると、それがはなはだ怪しい。よほど怪しい。通俗には誰もそう考えている。私も通俗にそう考えている。しかし退《しりぞ》いて不通俗に考えて見るとそれがすこぶるおかしい。どうもそうでないらしい。なぜかと云うと元来《がんらい》この私と云う――こうしてフロックコートを着て高襟《ハイカラ》をつけて、髭《ひげ》を生《は》やして厳然と存在しているかのごとくに見える、この私の正体がはなはだ怪しいものであります。フロ
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