それは不案内だから、諸君の御一考を煩《わずら》わすとして、文学について申すとけっして美ではない。美と云うものを唯一《ゆいいつ》の生命にしてかいたものは、短詩のほかにはないだろうと思います。小説には無論ありますまい。脚本は固《もと》よりです。詳《くわ》しく云うと、暇がかかるから、このくらいで御免蒙《ごめんこうむ》って先へ進みます。現代の理想が美でなければ、善であろうか、愛であろうか。この種の理想は無論幾多の作物中に経となり緯となりて織り込まれているには相違ないが、これが現代の理想だと云うには、遥《はるか》に微弱すぎると思います。それでは荘厳だろうか。荘厳が現代の理想ならばいささか頼母《たのも》しい気持もするが、実際はかえって反対である。現代の世ほど heroism に欠乏した世はなく、また現代の文学ほど heroism を発揚しない文学は少かろうと思います。現代の世に荘厳の感を起す悲劇は一つも出ないのでも分ります。現代文芸の理想が美にもあらず、善にもあらずまた荘厳にもあらざる以上は、その理想は真の一字にあるに相違ない。例を引けば長くなる、証を挙《あ》げれば大変である。仕方がないから、ただ真の一字が現代文芸ことに文学の理想であると云い放っておきます。しばらくこれを事実と御承認を願いたい。ところでこの真なるものも、いわゆる分化作用で、いろいろの種類と程度を有しているには相違ない、英仏独露の諸書を猟渉《りょうしょう》したらばその変形のおもなものを指摘する事はできる事になりましょう。私はそれに対してけっして不平を云うつもりではありません。前に云うごとく、真は四理想の一であって、その一たる真が勢を得て、他の三理想が比較的下火になるのも、時勢の推移上|銀杏返《いちょうがえ》しがすたれて束髪《そくはつ》が流行すると同じように、やむをえぬ次第と考えられます。しかしこれについて一言御参考のために申し上げておきたいのは、ほかでありませんが、こういう事なんです。
 人間の観察と云う者は深くなると狭くなるものです。世の中に何が狭いと云って専門家ほど狭いものはないのでも御分りになるでしょう。狭いと云う事は別段わるいと云う意味は含んでおりませんから、構わないと主張されるかも知れませんが、狭いと云うと不都合な事になります。医者があまり熱心になって狭い専門の範囲を、寝ても覚《さ》めても出る事ができな
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