主張するのははなはだ世人を迷わせる盲者の盲論と云わなければならない。文芸の目的が徳義心を鼓吹《こすい》するのを根本義にしていない事は論理上しかるべき見解ではあるが、徳義的の批判を許すべき事件が経となり緯となりて作物中に織り込まれるならば、またその事件が徳義的平面において吾人に善悪邪正の刺戟《しげき》を与えるならば、どうして両者をもって没交渉とする事ができよう。
 道徳と文芸の関係は大体においてかくのごときものであるが、なお前に挙《あ》げた浪漫自然二主義についてこれらがどういう風に道徳と交渉しているかをもう少し明暸《めいりょう》に調べてみる必要があると思います。すなわちこの二種の文学についてどこが道徳的でどこが芸術的であるかを分解比較して一々点検するのであります。こうすれば文芸と道徳の関係が一層明暸になるのみならず、また浪漫自然二文学の関係もまた一段と判然《はっきり》するだろうと思います。第一、浪漫派の内容から言うと、前《ぜん》申した通り忠臣が出て来たり、孝子が出て来たり、貞女が出て来たり、その他いろいろの人物が出て来て、すべて読者の徳性を刺激してその刺激に依って事をなす、すなわち読者を
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