見做《みな》して、徳義的の批判を下す前にまず滑稽《こっけい》を感じて噴《ふ》き出《だ》すだろうと思うのです。私のしかつめらしい態度と堂々たる演題とに心を傾《かたむ》けて、ある程度まで厳粛の気分を未来に延長しようという予期のある矢先へ、突然人前では憚《はばか》るべき異な音を立てられたのでその矛盾の刺激に堪《た》えないからです。この笑う刹那《せつな》には倫理上の観念は毫《ごう》も頭を擡《もた》げる余地を見出し得ない訳ですから、たとい道徳的批判を下すべき分子が混入してくる事件についても、これを徳義的に解釈しないで、徳義とはまるで関係のない滑稽《こっけい》とのみ見る事もできるものだと云う例証になります。けれどももし倫理的の分子が倫理的に人を刺戟《しげき》するようにまたそれを無関係の他の方面にそらす事ができぬように作物中に入込んで来たならば、道徳と文芸というものは、けっして切り離す事のできないものであります。両者は元来別物であって各独立したものであるというような説も或る意味から云えば真理ではあるが、近来の日本の文士のごとく根柢《こんてい》のある自信も思慮もなしに道徳は文芸に不必要であるかのごとく
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