思い出したように、「そうそう先刻《さっき》市蔵《いちぞう》(須永の名)から電話で話がありました。しかし今夜|御出《おいで》になるとは思いませんでしたよ」と云った。そうして君そう早く来たっていけないという様子がその裏に見えたので、敬太郎は精一杯《せいいっぱい》言訳をする必要を感じた。老人はそれを聞くでもなし聞かぬでもなしといった風に黙って立っていたが、「そんならまたいらっしゃい。四五日うちにちょっと旅行しますが、その前に御目にかかれる暇さえあれば、御目にかかっても宜《よ》うござんす」と云った。敬太郎は篤《あつ》く礼を述べてまた門を出たが、暗い夜《よ》の中で、礼の述べ方がちと馬鹿丁寧過ぎたと思った。
 これはずっと後《あと》になって、須永の口から敬太郎に知れた話であるが、ここの主人は、この時玄関に近い応接間で、たった一人|碁盤《ごばん》に向って、白石と黒石を互違《たがいちがい》に並べながら考え込んでいたのだそうである。それは客と一石《いっせき》やった後の引続きとして、是非共ある問題を解決しなければ気がすまなかったからであるが、肝心《かんじん》のところで敬太郎がさも田舎者《いなかもの》らしく玄関を騒がせるものだから、まずこの邪魔を追っ払った後でというつもりになって、じれったさの余り自分と取次に出たのだという。須永にこの顛末《てんまつ》を聞かされた時に、敬太郎はますます自分の挨拶《あいさつ》が丁寧《ていねい》過ぎたような気がした。

        九

 中一日《なかいちにち》置いて、敬太郎《けいたろう》は堂々と田口へ電話をかけて、これからすぐ行っても差支《さしつかえ》ないかと聞き合わせた。向うの電話口へ出たものは、敬太郎の言葉つきや話しぶりの比較的|横風《おうふう》なところからだいぶ位地の高い人とでも思ったらしく、「どうぞ少々御待ち下さいまし、ただいま主人の都合をちょっと尋ねますから」と丁寧な挨拶をして引き込んだが、今度返事を伝えるときは、「ああ、もしもし今ね、来客中で少し差支えるそうです。午後の一時頃来るなら来ていただきたいという事です」と前よりは言葉がよほど粗末《ぞんざい》になっていた。敬太郎は、「そうですか、それでは一時頃上りますから、どうぞ御主人に宜《よろ》しく」と答えて電話を切ったが、内心は一種|厭《いや》な心持がした。
 十二時かっきりに午飯《ひるめし》を食うつもりで、あらかじめ下女に云いつけておいた膳《ぜん》が、時間通り出て来ないので、敬太郎は騒々しく鳴る大学の鐘に急《せ》き立てられでもするように催促をして、できるだけ早く食事を済ました。電車の中では一昨日《おととい》の晩会った田口の態度を思い浮べて、今日もまたああいう風に無雑作《むぞうさ》な取扱を受けるのか知らん、それとも向うで会うというくらいだから、もう少しは愛嬌《あいきょう》のある挨拶でもしてくれるか知らんと考えなどした。彼はこの紳士の好意で、相当の地位さえ得られるならば、多少腰を曲《かが》めて窮屈な思をするぐらいは我慢するつもりであった。けれども先刻《さっき》電話の取次に出たもののように、五分と経《た》たないうちに、言葉使いを悪い方に改められたりすると、もう不愉快になって、どうかそいつがまた取次に出なければいいがと思う。その癖《くせ》自分のかけ方の自分としては少し横風過ぎた事にはまるで気がつかない性質《たち》であった。
 小川町の角で、斜《はす》に須永《すなが》の家《うち》へ曲《まが》る横町を見た時、彼ははっと例の後姿の事を思い出して、急に日蔭《ひかげ》から日向《ひなた》へ想像を移した。今日も美くしい須永の従妹《いとこ》のいる所へ訪問に出かけるのだと自分で自分に教える方が、億劫《おっくう》な手数《てかず》をかけて、好い顔もしない爺《じい》さんに、衣食の途《みち》を授けて下さいと泣《なき》つきに行くのだと意識するよりも、敬太郎に取っては遥《はる》かに麗《うらら》かであったからである。彼は須永の従妹《いとこ》と田口の爺さんを自分勝手に親子ときめておきながらどこまでも二人を引き離して考えていた。この間の晩田口と向き合って玄関先に立った時も、光線の具合で先方《さき》の人品は判然《はっきり》分らなかったけれども、眼鼻だちの輪廓《りんかく》だけで評したところが、あまり立派な方でなかった事は、この爺さんの第一印象として、敬太郎の胸に夜目《よめ》にも疑《うたがい》なく描かれたのである。それでいて彼はこの男の娘なら、須永との関係はどうあろうとも、器量《きりょう》はあまりいい方じゃあるまいという気がどこにも起らなかった。そこで離れていて合い、合っていて離れるような日向日蔭《ひなたひかげ》の裏表を一枚にした頭を彼は田口家に対して抱《いだ》いていたのである。それを互違にくり返した後《あと》、彼は田口の門前に立った。するとそこに大きな自働車が御者《ぎょしゃ》を乗せたまま待っていたので、少し安からぬ感じがした。
 玄関へ掛って名刺を出すと、小倉《こくら》の袴《はかま》を穿《は》いた若い書生がそれを受取って、「ちょっと」と云ったまま奥へ這入《はい》って行った。その声が確かに先刻《さっき》電話口で聞いたのに違ないので、敬太郎は彼の後姿《うしろすがた》を見送りながら厭《いや》な奴《やつ》だと思った。すると彼は名刺を持ったまままた現われた。そうして「御気の毒ですが、ただいま来客中ですからまたどうぞ」と云って、敬太郎の前に突立《つった》っていた。敬太郎も少しむっとした。
「先程電話で御都合を伺ったら、今客があるから午後一時頃来いという御返事でしたが」
「実はさっきの御客がまだ御帰りにならないで、御膳《おぜん》などが出て混雑《ごたごた》しているんです」
 落ちついて聞きさえすれば満更《まんざら》無理もない言訳なのだが、電話以後この取次が癪《しゃく》に障《さわ》っている敬太郎には彼の云い草がいかにも気に喰わなかった。それで自分の方から先《せん》を越すつもりか何かで、「そうですか、たびたび御足労でした。どうぞ御主人へよろしく」と平仄《ひょうそく》の合わない捨台詞《すてぜりふ》のような事を云った上、何だこんな自働車がと云わぬばかりにその傍《そば》を擦《す》り抜けて表へ出た。

        十

 彼はこの日必要な会見を都合よく済ました後《あと》、新らしく築地に世帯を持った友人の所へ廻って、須永《すなが》と彼の従妹《いとこ》とそれから彼の叔父に当る田口とを想像の糸で巧みに継《つ》ぎ合せつつある一部始終《いちぶしじゅう》を御馳走《ごちそう》に、晩まで話し込む気でいたのである。けれども田口の門を出て日比谷公園の傍《わき》に立った彼の頭には、そんな余裕《よゆう》はさらになかった。後姿を見ただけではあるが、在所《ありか》をすでに突き留めて、今その人の家を尋ねたのだという陽気な心持は固《もと》よりなかった。位置を求めにここまで来たという自覚はなおなかった。彼はただ屈辱を感じた結果として、腹を立てていただけである。そうして自分を田口のような男に紹介した須永こそこの取扱に対して当然責任を負わなくてはならないと感じていた。彼は帰りがけに須永の所へ寄って、逐一《ちくいち》顛末《てんまつ》を話した上、存分文句を並べてやろうと考えた。それでまた電車に乗って一直線に小川町まで引返して来た。時計を見ると、二時にはまだ二十分ほど間《ま》があった。須永の家《うち》の前へ来て、わざと往来から須永須永と二声ばかり呼んで見たが、いるのかいないのか二階の障子《しょうじ》は立て切ったままついに開《あ》かなかった。もっとも彼は体裁家《ていさいや》で、平生からこういう呼び出し方を田舎者《いなかもの》らしいといって厭《いや》がっていたのだから、聞こえても知らん顔をしているのではなかろうかと思って、敬太郎《けいたろう》は正式に玄関の格子口《こうしぐち》へかかった。けれども取次に出た仲働《なかばたらき》の口から「午《ひる》少し過に御出ましになりました」という言葉を聞いた時は、ちょっと張合が抜けて少しの間黙って立っていた。
「風邪《かぜ》を引いていたようでしたが」
「はい、御風邪を召していらっしゃいましたが、今日はだいぶ好いからとおっしゃって、御出かけになりました」
 敬太郎は帰ろうとした。仲働は「ちょっと御隠居さまに申し上げますから」といって、敬太郎を格子のうちに待たしたまま奥へ這入《はい》った。と思うと襖《ふすま》の陰から須永の母の姿が現われた。背の高い面長《おもなが》の下町風に品《ひん》のある婦人であった。
「さあどうぞ。もうそのうち帰りましょうから」
 須永の母にこう云い出されたが最後、江戸慣《えどな》れない敬太郎はどうそれを断って外へ出ていいか、いまだにその心得がなかった。第一《だいち》どこで断る隙間もないように、調子の好い文句がそれからそれへとずるずる彼の耳へ響いて来るのである。それが世間体《せけんてい》の好い御世辞《おせじ》と違って、引き留められているうちに、上っては迷惑だろうという遠慮がいつの間にか失《な》くなって、つい気の毒だから少し話して行こうという気になるのである。敬太郎は云われるままにとうとう例の書斎へ腰をおろした。須永の母が御寒いでしょうと云って、仕切りの唐紙《からかみ》を締《し》めてくれたり、さあ御手をお出しなさいと云って、佐倉《さくら》を埋《い》けた火鉢《ひばち》を勧めてくれたりするうちに、一時|昂奮《こうふん》した彼の気分はしだいに落ちついて来た。彼はシキとかいう白い絹へ秋田蕗《あきたぶき》を一面に大きく摺《す》った襖《ふすま》の模様だの、唐桑《からくわ》らしくてらてらした黄色い手焙《てあぶり》だのを眺《なが》めて、このしとやかで能弁な、人を外《そら》す事を知らないと云った風の母と話をした。
 彼女の語るところによると、須永は今日|矢来《やらい》の叔父の家《うち》へ行ったのだそうである。
「じゃついでだから帰りに小日向《こびなた》へ廻って御寺参りをして来ておくれって申しましたら、御母さんは近頃|無精《ぶしょう》になったようですね、この間も他《ひと》に代理をさせたじゃありませんか、年を取ったせいかしらなんて悪口を云い云い出て参りましたが、あれもねあなた、せんだって中《じゅう》から風邪を引いて咽喉《のど》を痛めておりますので、今日も何なら止した方がいいじゃないかととめて見ましたが、やっぱり若いものは用心深いようでもどこか我無《がむ》しゃらで、年寄の云う事などにはいっさい無頓着《むとんじゃく》でございますから……」
 須永の留守へ行くと、彼の母は唯一の楽みのようにこういう調子で伜《せがれ》の話をするのが常であった。敬太郎の方で須永の評判でも持ち出そうものなら、いつまででもその問題の後《あと》へ喰付《くっつ》いて来て、容易に話頭を改めないのが例になっていた。敬太郎もそれにはだいぶ慣れているから、この際も向うのいう通りをただふんふんとおとなしく聞いて、一段落の来るのを待っていた。

        十一

 そのうち話がいつか肝心《かんじん》の須永《すなが》を逸《そ》れて、矢来の叔父という人の方へ移って行った。これは内幸町と違って、この御母《おっか》さんの実の弟に当る男だそうで、一種の贅沢屋《ぜいたくや》のように敬太郎《けいたろう》は須永から聞いていた。外套《がいとう》の裏は繻子《しゅす》でなくては見っともなくて着られないと云ったり、要《い》りもしないのに古渡《こわた》りの更紗玉《さらさだま》とか号して、石だか珊瑚《さんご》だか分らないものを愛玩《あいがん》したりする話はいまだに覚えていた。
「何にもしないで贅沢《ぜいたく》に遊んでいられるくらい好い事はないんだから、結構な御身分ですね」と敬太郎が云うのを引き取るように母は、「どうしてあなた、打ち明けた御話が、まあどうにかこうにかやって行けるというまでで、楽だの贅沢だのという段にはまだなかなかなのでございますからいけません」と打ち消した。
 須永の親戚に当る人の財力
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