ら」と、かつて敬太郎に話した事があったのを、敬太郎は覚えていたのである。
 須永は今朝すでにその叔父に会うはずであったが、咽喉《のど》を痛めたため、外出を見合せたのだそうで、四五日内には大抵行けるだろうから、その時には是非話して見ようと答えたあとで、「叔父も忙がしい身体《からだ》だしね、それに方々から頼まれるようだから、きっととは受合われないが、まあ会って見たまえ」と念のためだか何だかつけ加えた。余り望《のぞみ》を置き過ぎられては困るというのだろうと敬太郎は解釈したが、それでも会わないよりは増しだぐらいに考えて、例に似ず宜《よろ》しく頼む気になった。が、口で頼むほど腹の中では心配も苦労もしていなかった。
 元来彼が卒業後相当の地位を求めるために、腐心し運動し奔走し、今もなおしつつあるのは、当人の公言するごとく佯《いつわ》りなき事実ではあるが、いまだに成効《せいこう》の曙光《しょこう》を拝まないと云って、さも苦しそうな声を出して見せるうちには、少なくとも五割方の懸値《かけね》が籠《こも》っていた。彼は須永のような一人息子ではなかったが、(妹が片づいて、)母一人残っているところは両方共同じであった。彼は須永のように地面家作の所有主でない代りに、国に少し田地《でんじ》を有《も》っていた。固《もと》より大した穀高《こくだか》になるというほどのものでもないが、俵《ひょう》がいくらというきまった金に毎年替えられるので、二十や三十の下宿代に窮する身分ではなかった。その上女親の甘いのにつけ込んで、自分で自分の身を喰うような臨時費を請求した事も今までに一度や二度ではなかった。だから位地位地と云って騒ぐのが、全くの空騒《からさわぎ》でないにしても、郷党だの朋友《ほうゆう》だのまたは自分だのに対する虚栄心に煽《あお》られている事はたしかであった。そんなら学校にいるうちもっと勉強して好い成績でも取っておきそうなものだのに、そこが浪漫家《ロマンか》だけあって、学課はなるべく怠けよう怠けようと心がけて通して来た結果、すこぶる鮮《あざ》やかならぬ及第をしてしまったのである。

        四

 それで約一時間ほど須永《すなが》と話す間にも、敬太郎《けいたろう》は位地とか衣食とかいう苦しい問題を自分と進んで持ち出しておきながら、やっぱり先刻《さっき》見た後姿《うしろすがた》の女の事が気に掛って、肝心《かんじん》の世渡りの方には口先ほど真面目《まじめ》になれなかった。一度|下座敷《したざしき》で若々しい女の笑い声が聞えた時などは、誰か御客が来ているようだねと尋ねて見ようかしらんと考えたくらいである。ところがその考えている時間が、すでに自然をぶち壊《こわ》す道具になって、せっかくの問が間外《まはず》れになろうとしたので、とうとう口へ出さずにやめてしまった。
 それでも須永の方ではなるべく敬太郎の好奇心に媚《こ》びるような話題を持ち出した気でいた。彼は自分の住んでいる電車の裏通りが、いかに小さな家と細い小路《こうじ》のために、賽《さい》の目《め》のように区切られて、名も知らない都会人士の巣を形づくっているうちに、社会の上層に浮き上らない戯曲がほとんど戸《こ》ごとに演ぜられていると云うような事実を敬太郎に告げた。
 まず須永の五六軒先には日本橋辺の金物屋《かなものや》の隠居の妾《めかけ》がいる。その妾が宮戸座《みやとざ》とかへ出る役者を情夫《いろ》にしている。それを隠居が承知で黙っている。その向う横町に代言《だいげん》だか周旋屋《しゅうせんや》だか分らない小綺麗《こぎれい》な格子戸作《こうしどづく》りの家《うち》があって、時々表へ女記者一名、女コック一名至急入用などという広告を黒板《ボールド》へ書いて出す。そこへある時二十七八の美くしい女が、襞《ひだ》を取った紺綾《こんあや》の長いマントをすぽりと被《かぶ》って、まるで西洋の看護婦という服装《なり》をして来て職業の周旋を頼んだ。それが其家《そこ》の主人の昔《むか》し書生をしていた家の御嬢さんなので、主人はもちろん妻君も驚ろいたという話がある。次に背中合せの裏通りへ出ると、白髪頭《しらがあたま》で廿《はたち》ぐらいの妻君を持った高利貸がいる。人の評判では借金の抵当《かた》に取った女房だそうである。その隣りの博奕打《ばくちうち》が、大勢同類を寄せて、互に血眼《ちまなこ》を擦《こす》り合っている最中に、ねんね子で赤ん坊を負《おぶ》ったかみさんが、勝負で夢中になっている亭主を迎《むかえ》に来る事がある。かみさんが泣きながらどうかいっしょに帰ってくれというと、亭主は帰るには帰るが、もう一時間ほどして負けたものを取り返してから帰るという。するとかみさんはそんな意地を張れば張るほど負けるだけだから、是非今帰ってくれと縋《すが》りつくように頼む。いや帰らない、いや帰れといって、往来の氷る夜中でも四隣《あたり》の眠《ねむり》を驚ろかせる。……
 須永の話をだんだん聞いているうちに、敬太郎はこういう実地小説のはびこる中に年来住み慣れて来た須永もまた人の見ないような芝居をこっそりやって、口を拭《ぬぐ》ってすましているのかも知れないという気が強くなって来た。固《もと》よりその推察の裏には先刻《さっき》見た後姿の女が薄い影を投げていた。「ついでに君の分も聞こうじゃないか」と切り込んで見たが、須永はふんと云って薄笑いをしただけであった。その後で簡単に「今日は咽喉《のど》が痛いから」と云った。さも小説は有《も》っているが、君には話さないのだと云わんばかりの挨拶《あいさつ》に聞えた。
 敬太郎が二階から玄関へ下りた時は、例の女下駄がもう見えなかった。帰ったのか、下駄箱へしまわしたのか、または気を利《き》かして隠したのか、彼にはまるで見当《けんとう》がつかなかった。表へ出るや否や、どういう料簡《りょうけん》か彼はすぐ一軒の煙草屋《たばこや》へ飛び込んだ。そうしてそこから一本の葉巻を銜《くわ》えて出て来た。それを吹かしながら須田町まで来て電車に乗ろうとする途端《とたん》に、喫煙御断りという社則を思い出したので、また万世橋の方へ歩いて行った。彼は本郷の下宿へ帰るまでこの葉巻を持たすつもりで、ゆっくりゆっくり足を運ばせながらなお須永の事を考えた。その須永はけっしていつものように単独には頭の中へは這入《はい》って来なかった。考えるたびにきっと後姿の女がちらちら跟《つ》いて来た。しまいに「本郷台町の三階から遠眼鏡《とおめがね》で世の中を覗《のぞ》いていて、浪漫的《ロマンてき》探険なんて気の利いた真似《まね》ができるものか」と須永から冷笑《ひや》かされたような心持がし出した。

        五

 彼は今日《こんにち》まで、俗にいう下町生活に昵懇《なじみ》も趣味も有《も》ち得ない男であった。時たま日本橋の裏通りなどを通って、身を横にしなければ潜《くぐ》れない格子戸《こうしど》だの、三和土《たたき》の上から訳《わけ》もなくぶら下がっている鉄灯籠《かなどうろう》だの、上《あが》り框《がまち》の下を張り詰めた綺麗《きれい》に光る竹だの、杉だか何だか日光《ひ》が透《とお》って赤く見えるほど薄っぺらな障子《しょうじ》の腰だのを眼にするたびに、いかにもせせこましそうな心持になる。こう万事がきちりと小さく整のってかつ光っていられては窮屈でたまらないと思う。これほど小ぢんまりと几帳面《きちょうめん》に暮らして行く彼らは、おそらく食後に使う楊枝《ようじ》の削《けず》り方《かた》まで気にかけているのではなかろうかと考える。そうしてそれがことごとく伝説的の法則に支配されて、ちょうど彼らの用いる煙草盆《たばこぼん》のように、先祖代々順々に拭《ふ》き込まれた習慣を笠《かさ》に、恐るべく光っているのだろうと推察する。須永《すなが》の家《うち》へ行って、用もない松へ大事そうな雪除《ゆきよけ》をした所や、狭い庭を馬鹿丁寧《ばかていねい》に枯松葉で敷きつめた景色《けしき》などを見る時ですら、彼は繊細な江戸式の開花の懐《ふところ》に、ぽうと育った若旦那《わかだんな》を聯想《れんそう》しない訳に行かなかった。第一須永が角帯《かくおび》をきゅうと締《し》めてきちりと坐る事からが彼には変であった。そこへ長唄《ながうた》の好きだとかいう御母《おっか》さんが時々出て来て、滑《すべ》っこい癖《くせ》にアクセントの強い言葉で、舌触《したざわり》の好い愛嬌《あいきょう》を振りかけてくれる折などは、昔から重詰《じゅうづめ》にして蔵の二階へしまっておいたものを、今取り出して来たという風に、出来合《できあい》以上の旨《うま》さがあるので、紋切形《もんきりがた》とは無論思わないけれども、幾代《いくだい》もかかって辞令の練習を積んだ巧みが、その底に潜《ひそ》んでいるとしか受取れなかった。
 要するに敬太郎《けいたろう》はもう少し調子外《ちょうしはず》れの自由なものが欲しかったのである。けれども今日《きょう》の彼は少くとも想像の上において平生の彼とは違っていた。彼は徳川時代の湿《しめ》っぽい空気がいまだに漂《ただ》よっている黒い蔵造《くらづくり》の立ち並ぶ裏通に、親譲りの家を構えて、敬ちゃん御遊びなという友達を相手に、泥棒ごっこや大将ごっこをして成長したかった。月に一遍ずつ蠣殼町《かきがらちょう》の水天宮様《すいてんぐうさま》と深川の不動様へ御参りをして、護摩《ごま》でも上げたかった。(現に須永は母の御供をしてこういう旧弊《きゅうへい》な真似《まね》を当り前のごとくやっている。)それから鉄無地《てつむじ》の羽織でも着ながら、歌舞伎を当世《とうせい》に崩《くず》して往来へ流した匂《におい》のする町内を恍惚《こうこつ》と歩きたかった。そうして習慣に縛《しば》られた、かつ習慣を飛び超《こ》えた艶《なま》めかしい葛藤《かっとう》でもそこに見出したかった。
 彼はこの時たちまち森本の二字を思い浮かべた。するとその二字の周囲にある空想が妙に色を変えた。彼は物好《ものずき》にも自《みずか》ら進んでこの後《うし》ろ暗《ぐら》い奇人に握手を求めた結果として、もう少しでとんだ迷惑を蒙《こう》むるところであった。幸いに下宿の主人が自分の人格を信じたからいいようなものの、疑ぐろうとすればどこまでも疑ぐられ得る場合なのだから、主人の態度いかんに依《よ》っては警察ぐらいへ行かなければならなかったのかも知れない。と、こう考えると、彼の空中に編み上げる勝手な浪漫《ロマン》が急に温味《あたたかみ》を失って、醜《みに》くい想像からでき上った雲の峰同様に、意味もなく崩れてしまった。けれどもその奥に口髭《くちひげ》をだらしなく垂らした二重瞼《ふたえまぶち》の瘠《やせ》ぎすの森本の顔だけは粘《ねば》り強く残っていた。彼はその顔を愛したいような、侮《あなど》りたいような、また憐《あわれ》みたいような心持になった。そうしてこの凡庸《ぼんよう》な顔の後《うしろ》に解すべからざる怪しい物がぼんやり立っているように思った。そうして彼が記念《かたみ》にくれると云った妙な洋杖《ステッキ》を聯想《れんそう》した。
 この洋杖は竹の根の方を曲げて柄《え》にした極《きわ》めて単簡《たんかん》のものだが、ただ蛇《へび》を彫ってあるところが普通の杖《つえ》と違っていた。もっとも輸出向によく見るように蛇の身をぐるぐる竹に巻きつけた毒々しいものではなく、彫ってあるのはただ頭だけで、その頭が口を開けて何か呑《の》みかけているところを握《にぎり》にしたものであった。けれどもその呑みかけているのが何であるかは、握りの先が丸く滑《すべ》っこく削《けず》られているので、蛙《かえる》だか鶏卵《たまご》だか誰にも見当《けんとう》がつかなかった。森本は自分で竹を伐《き》って、自分でこの蛇を彫ったのだと云っていた。

        六

 敬太郎《けいたろう》は下宿の門口《かどぐち》を潜《くぐ》るとき何より先にまずこの洋杖に眼をつけた。というよりも途《みち》すがらの聯想が、硝子戸《
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