沢《ぜいたく》なところがあるようですし、あんな内気な母にも、妙に陽気な事の好きな方面が昔から見えていました。ただ僕だけは、――こういうとまたあの問題を持ち出したなと早合点《はやがてん》なさるかも知れませんが、僕はもうあの事について叔父さんの心配なさるほど屈托《くったく》していないつもりですから安心して下さい。ただ僕だけはと断るのはけっして苦《にが》い意味で云うのではありません。僕はこの点において、叔父さんとも母とも生れつき違っていると申したいのです。僕は比較的楽に育った、物質的に幸福な子だから、贅沢と知らずに贅沢をして平気でいました。着物などでも、母の注意で、人前へ出て恥かしくないようなものを身に着けながら、これが当然だと澄ましていました。けれどもそれは永く習慣に養われた結果、自分で知らない不明から出るので、一度そこに気がつくと、急に不安になります。着物や食事はまあどうでもいいとして、僕はこの間ある富豪のむやみに金を使う様子を聞いて恐ろしくなった事があります。その男は芸者は幇間《ほうかん》を大勢集めて、鞄《かばん》の中から出した札《さつ》の束《たば》を、その前でずたずたに裂いて、それを御祝儀《ごしゅうぎ》とか称《とな》えて、みんなにやるのだそうです。それから立派な着物を着[#「着」は底本では「来」]たまま湯に這入《はい》って、あとは三助《さんすけ》にくれるのだそうです。彼の乱行はまだたくさんありましたが、いずれも天を恐れない暴慢|極《きわ》まるもののみでした。僕はその話を聞いた時無論彼を悪《にく》みました。けれども気概に乏しい僕は、悪むよりもむしろ恐れました。僕から彼の所行《しょぎょう》を見ると、強盗が白刃《しらは》の抜身を畳に突き立てて良民を脅迫《おびやか》しているのと同じような感じになるのです。僕は実に天とか、人道とか、もしくは神仏とかに対して申し訳がないという、真正に宗教的な意味において恐れたのです。僕はこれほど臆病な人間なのです。驕奢《きょうしゃ》に近づかない先から、驕奢の絶頂に達して躍《おど》り狂う人の、一転化の後《のち》を想像して、怖《こわ》くてたまらないのであります。――僕はこんな事を考えて、静かな波の上を流れて行く涼み船を見送りながら、このくらいな程度の慰さみが人間としてちょうど手頃なんだろうと思いました。僕も叔父さんから注意されたように、だんだん浮気《うわき》になって行きます。賞《ほ》めて下さい。月の差す二階の客は、神戸から遊びに来たとかで、僕の厭《いや》な東京語ばかり使って、折々詩吟などをやります。その中に艶《なま》めかしい女の声も交《まじ》っていましたが、二三十分前から急におとなしくなりました。下女に聞いたらもう神戸へ帰ったのだそうです。夜もだいぶ更《ふ》けましたから、僕も休みます」

        十二

「昨夕《ゆうべ》も手紙を書きましたが、今日もまた今朝《こんちょう》以来の出来事を御報知します。こう続けて叔父さんにばかり手紙を上げたら、叔父さんはきっと皮肉な薄笑いをして、あいつどこへも文《ふみ》をやる所がないものだから、已《やむ》を得ず姉と己《おれ》に対してだけ、時間を費《つい》やして音信《たより》を怠《おこた》らないんだと、腹の中で云うでしょう。僕も筆を執《と》りながら、ちょっとそう云う考えを起しました。しかし僕にもしそんな愛人ができたら、叔父さんはたとい僕から手紙を貰《もら》わないでも、喜こんで下さるでしょう。僕も叔父さんに音信を怠っても、その方が幸福だと思います。実は今朝起きて二階へ上《あが》って海を見下《みおろ》していると、そういう幸福な二人連が、磯通《いそづた》いに西の方へ行きました。これはことによると僕と同じ宿に泊っている御客かも知れません。女がクリーム色の洋傘《こうもり》を翳《さ》して、素足に着物の裾《すそ》を少し捲《まく》りながら、浅い波の中を、男と並んで行く後姿《うしろすがた》を、僕は羨《うらや》ましそうに眺《なが》めたのです。波は非常に澄んでいるから高い所から見下すと、陸《おか》に近いあたりなどは、日の照る空気の中と変りなく何でも透《す》いて見えます。泳いでいる海月《くらげ》さえ判切《はっきり》見えます。宿の客が二人出て来て泳ぎ廻っていますが、彼らの水中でやる所作《しょさ》が、一挙一動ことごとく手に取るように見えるので、芸としての水泳の価値が、だいぶ下落するようです。(午前七時半)」
「今度は西洋人が一人水に浸《つか》っています。あとから若い女が出て来ました。その女が波の中に立って、二階に残っているもう一人の西洋人を呼びます。『ユー、カム、ヒヤ』と云って英語を使います。『イット、イズ、ヴェリ、ナイス、イン、ウォーター』と云うような事をしきりに申します。その英語はなかなか達者で流暢《りゅうちょう》で羨《うらや》ましいくらい旨《うま》く出ます。僕はとても及ばないと思って感心して聞いていました。けれども英語の達者なこの女から呼ばれた西洋人はなかなか下りて来ませんでした。女は泳げないんだか、泳ぎたくないんだか、胸から下を水に浸《つ》けたまま波の中に立っていました。すると先へ下りた方の西洋人が女の手を執《と》って、深い所へ連れて行こうとしました。女は身を竦《すく》めるようにして拒《こば》みました。西洋人はとうとう海の中で女を横に抱《だ》きました。女の跳《は》ねて水を蹴《け》る音と、その笑いながら、きゃっきゃっ騒ぐ声が、遠方まで響きました。(午前十時)」
「今度は下の座敷に芸者を二人連れて泊っていた客が端艇《ボート》を漕《こ》ぎに出て来ました。この端艇はどこから持って来たか分りませんが、極《きわ》めて小さいかつすこぶる危しいものです。客は漕いでやるからと云って、芸者を乗せようとしますが、芸者の方では怖《こわ》いからと断ってなかなか乗りません。しかしとうとう客の意の通りになりました。その時年の若い方が、わざわざ喫驚《びっくり》して見せる科《しな》が、よほど馬鹿らしゅうございました。端艇がそこいらを漕ぎ廻って帰って来ると、年上の芸者が、宿屋のすぐ裏に繋《つな》いである和船に向って、船頭はん、その船|空《あ》いていまっかと、大きな声で聞きました。今度は和船の中に、御馳走《ごちそう》を入れて、また海の上に出る相談らしいのです。見ていると、芸者が宿の下女を使って、麦酒《ビール》だの水菓子だの三味線だのを船の中へ運び込ましておいて、しまいに自分達も乗りました。ところが肝心《かんじん》の御客はよほど威勢のいい男で、遥《はる》か向うの方にまだ端艇を漕ぎ廻していました。誰も乗せ手がなかったと見えて、今度は黒裸《くろはだか》の浦の子僧を一人|生捕《いけど》っていました。芸者はあきれた顔をして、しばらくその方を眺めていましたが、やがて根《こん》かぎりの大きな声で、阿呆《あほう》と呼びました。すると阿呆と呼ばれた客が端艇をこっちへ漕《こ》ぎ戻して来ました。僕は面白い芸者でまた面白い客だと思いました。(午前十一時)」
「僕がこんなくだくだしい事を物珍らしそうに報道したら、叔父さんは物数奇《ものずき》だと云って定めし苦笑なさるでしょう。しかしこれは旅行の御蔭で僕が改良した証拠《しょうこ》なのです。僕は自由な空気と共に往来する事を始めて覚えたのです。こんなつまらない話を一々書く面倒を厭《いと》わなくなったのも、つまりは考えずに観《み》るからではないでしょうか。考えずに観るのが、今の僕には一番薬だと思います。わずかの旅行で、僕の神経だか性癖だかが直ったと云ったら、直り方があまり安っぽくって恥ずかしいくらいです。が、僕は今より十層倍も安っぽく母が僕を生んでくれた事を切望して已《や》まないのです。白帆《しらほ》が雲のごとく簇《むらが》って淡路島《あわじしま》の前を通ります。反対の側の松山の上に人丸《ひとまる》の社《やしろ》があるそうです。人丸という人はよく知りませんが、閑《ひま》があったらついでだから行って見ようと思います」


 結末

 敬太郎《けいたろう》の冒険は物語に始まって物語に終った。彼の知ろうとする世の中は最初遠くに見えた。近頃は眼の前に見える。けれども彼はついにその中に這入《はい》って、何事も演じ得ない門外漢に似ていた。彼の役割は絶えず受話器を耳にして「世間」を聴く一種の探訪《たんぼう》に過ぎなかった。
 彼は森本の口を通して放浪生活の断片を聞いた。けれどもその断片は輪廓《りんかく》と表面から成る極《きわ》めて浅いものであった。したがって罪のない面白味を、野性の好奇心に充《み》ちた彼の頭に吹き込んだだけである。けれども彼の頭の中の隙間《すきま》が、瓦斯《ガス》に似た冒険|譚《だん》で膨脹《ぼうちょう》した奥に、彼は人間としての森本の面影《おもかげ》を、夢現《ゆめうつつ》のごとく見る事を得た。そうして同じく人間としての彼に、知識以外の同情と反感を与えた。
 彼は田口と云う実際家の口を通して、彼が社会をいかに眺《なが》めているかを少し知った。同時に高等遊民と自称する松本という男からその人生観の一部を聞かされた。彼は親しい社会的関係によって繋《つな》がれていながら、まるで毛色の異《こと》なったこの二人の対照を胸に据《す》えて、幾分か己《おの》れの世間的経験が広くなったような心持がした。けれどもその経験はただ広く面積の上において延びるだけで、深さはさほど増したとも思えなかった。
 彼は千代子という女性《にょしょう》の口を通して幼児の死を聞いた。千代子によって叙《じょ》せられた「死」は、彼が世間並に想像したものと違って、美くしい画《え》を見るようなところに、彼の快感を惹《ひ》いた。けれどもその快感のうちには涙が交っていた。苦痛を逃《のが》れるために已《やむ》を得ず流れるよりも、悲哀をできるだけ長く抱《いだ》いていたい意味から出る涙が交《まじ》っていた。彼は独身ものであった。小児に対する同情は極めて乏しかった。それでも美くしいものが美くしく死んで美くしく葬られるのは憐《あわ》れであった。彼は雛祭《ひなまつり》の宵《よい》に生れた女の子の運命を、あたかも御雛様のそれのごとく可憐《かれん》に聞いた。
 彼は須永《すなが》の口から一調子《ひとちょうし》狂った母子《おやこ》の関係を聞かされて驚ろいた。彼も国元に一人の母を有《も》つ身であった。けれども彼と彼の母との関係は、須永ほど親しくない代りに、須永ほどの因果《いんが》に纏綿《てんめん》されていなかった。彼は自分が子である以上、親子の間を解し得たものと信じて疑わなかった。同時に親子の間は平凡なものと諦《あき》らめていた。より込み入った親子は、たとえ想像が出来るにしても、いっこう腹にはこたえなかった。それが須永のために深く掘り下げられたような気がした。
 彼はまた須永から彼と千代子との間柄を聞いた。そうして彼らは必竟《ひっきょう》夫婦として作られたものか、朋友《ほうゆう》として存在すべきものか、もしくは敵《かたき》として睨《にら》み合うべきものかを疑った。その疑いの結果は、半分の好奇と半分の好意を駆《か》って彼を松本に走らしめた。彼は案外にも、松本をただ舶来のパイプを銜《くわ》えて世の中を傍観している男でないと発見した。彼は松本が須永に対してどんな考でどういう所置を取ったかを委《くわ》しく聞いた。そうして松本のそういう所置を取らなければならなくなった事情も審《つまび》らかにした。
 顧《かえり》みると、彼が学校を出て、始めて実際の世の中に接触して見たいと志ざしてから今日《こんにち》までの経歴は、単に人の話をそこここと聞き廻って歩いただけである。耳から知識なり感情なりを伝えられなかった場合は、小川町の停留所で洋杖《ステッキ》を大事そうに突いて、電車から下りる霜降《しもふり》の外套《がいとう》を着た男が若い女といっしょに洋食屋に這入る後《あと》を跟《つ》けたくらいのものである。それも今になって記憶の台に載《の》せて眺《なが》めると、ほとんど冒険とも探検とも名づけよう
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