話であった彼は、叔母の語るところによると、そうではなくって全く英吉利《イギリス》で教育された男であった。叔母は英国流の紳士という言葉を誰かから聞いたと見えて、二三度それを使って、何の心得もない母を驚ろかしたのみか、だからどことなく品《ひん》の善いところがあるんですよと母に説明して聞かせたりした。母はただへえと感心するのみであった。
二人がこんな話をしている内、僕はほとんど一口も口を利《き》かなかった。ただ上部《うわべ》から見て平生の調子と何の変るところもない母が、この際高木と僕を比較して、腹の中でどう思っているだろうと考えると、僕は母に対して気の毒でもありまた恨《うら》めしくもあった。同じ母が、千代子対僕と云う古い関係を一方に置いて、さらに千代子対高木という新らしい関係を一方に想像するなら、はたしてどんな心持になるだろうと思うと、たとい少しの不安でも、避け得られるところをわざと与えるために彼女を連れ出したも同じ事になるので、僕はただでさえ不愉快な上に、年寄にすまないという苦痛をもう一つ重ねた。
前後の模様から推《お》すだけで、実際には事実となって現われて来なかったから何とも云い兼ねるが、叔母はこの場合を利用して、もし縁があったら千代子を高木にやるつもりでいるぐらいの打明話《うちあけばなし》を、僕ら母子《おやこ》に向って、相談とも宣告とも片づかない形式の下《もと》に、する気だったかも知れない。すべてに気がつく癖に、こうなるとかえって僕よりも迂遠《うと》い母はどうだか、僕はその場で叔母の口から、僕と千代子と永久に手を別つべき談判の第一節を予期していたのである。幸か不幸か、叔母がまだ何も云い出さないうちに、姉妹《きょうだい》は浜から広い麦藁帽《むぎわらぼう》の縁《ふち》をひらひらさして帰って来た。僕が僕の占いの的中しなかったのを、母のために喜こんだのは事実である。同時に同じ出来事が僕を焦躁《もどか》しがらせたのも嘘《うそ》ではない。
夕方になって、僕は姉妹と共に東京から来るはずの叔父を停車場《ステーション》に迎えるべく母に命ぜられて家《いえ》を出た。彼らは揃《そろい》の浴衣《ゆかた》を着て白い足袋《たび》を穿《は》いていた。それを後《うしろ》から見送った彼らの母の眼に彼らがいかなる誇として映じたろう。千代子と並んで歩く僕の姿がまた僕の母には画《え》として普通以上にどんなに価《あたい》が高かったろう。僕は母を欺《あざ》むく材料に自然から使われる自分を心苦しく思って、門を出る時振り返って見たら、母も叔母もまだこっちを見ていた。
途中まで来た頃、千代子は思い出したように突然とまって、「あっ高木さんを誘うのを忘れた」と云った。百代子はすぐ僕の顔を見た。僕は足の運びを止《と》めたが、口は開かなかった。「もう好いじゃないの、ここまで来たんだから」と百代子が云った。「だってあたし先刻《さっき》誘ってくれって頼まれたのよ」と千代子が云った。百代子はまた僕の顔を見て逡巡《ためら》った。
「市《いっ》さんあなた時計持っていらしって。今何時」
僕は時計を出して百代子に見せた。
「まだ間に合わない事はない。誘って来るなら来ると好い。僕は先へ行って待っているから」
「もう遅いわよあなた。高木さん、もしいらっしゃるつもりならきっと一人でもいらしってよ。後から忘れましたって詫《あや》まったらそれで好《よ》かないの」
姉妹は二三度押問答の末ついに後戻りをしない事にした。高木は百代子の予言通りまだ汽車の着かないうちに急ぎ足で構内へ這入《はい》って来て、姉妹に、どうも非道《ひど》い、あれほど頼んでおくのにと云った。それから御母さんはと聞いた。最後に僕の方を向いて、先ほどはと愛想《あいそ》の好い挨拶《あいさつ》をした。
十九
その晩は叔父と従弟《いとこ》を待ち合わした上に、僕ら母子《おやこ》が新たに食卓に加わったので、食事の時間がいつもより、だいぶ後《おく》れたばかりでなく、私《ひそ》かに恐れた通りはなはだしい混雑の中《うち》に箸《はし》と茶椀の動く光景を見せられた。叔父は笑いながら、市《いっ》さんまるで火事場のようだろう、しかし会《たま》にはこんな騒ぎをして飯を食うのも面白いものだよと云って、間接の言訳をした。閑静な膳《ぜん》に慣れた母は、この賑《にぎ》やかさの中に実際叔父の言葉通り愉快らしい顔をしていた。母は内気な癖にこういう陽気な席が好きなのである。彼女はその時偶然口に上《のぼ》った一塩《ひとしお》にした小鰺《こあじ》の焼いたのを美味《うま》いと云ってしきりに賞《ほ》めた。
「漁師《りょうし》に頼んどくといくらでも拵《こしら》えて来てくれますよ。何なら、帰りに持っていらっしゃいな。姉さんが好きだから上げたいと思ってたんですが、ついついでが無かったもんだから、それにすぐ腐《わる》くなるんでね」
「わたしもいつか大磯《おおいそ》で誂《あつら》えてわざわざ東京まで持って帰った事があるが、よっぽど気をつけないと途中でね」
「腐るの」千代子が聞いた。
「叔母さん興津鯛《おきつだい》御嫌《おきらい》。あたしこれよか興津鯛の方が美味《おいし》いわ」と百代子が云った。
「興津鯛はまた興津鯛で結構ですよ」と母はおとなしい答をした。
こんなくだくだしい会話を、僕がなぜ覚えているかと云うと、僕はその時母の顔に表われた、さも満足らしい気持をよく注意して見ていたからであるが、もう一つは僕が母と同じように一塩《ひとしお》の小鰺《こあじ》を好いていたからでもある。
ついでだからここで云う。僕は自分の嗜好《しこう》や性質の上において、母に大変よく似たところと、全く違ったところと両方|有《も》っている。これはまだ誰にも話さない秘密だが、実は単に自分の心得として、過去幾年かの間、僕は母と自分とどこがどう違って、どこがどう似ているかの詳しい研究を人知れず重ねたのである。なぜそんな真似《まね》をしたかと母に聞かれては云い兼ねる。たとい僕が自分に聞き糺《ただ》して見ても判切《はっきり》云えなかったのだから、理由《わけ》は話せない。しかし結果からいうとこうである。――欠点でも母と共に具《そな》えているなら僕は大変|嬉《うれ》しかった。長所でも母になくって僕だけ有《も》っているとはなはだ不愉快になった。そのうちで僕の最も気になるのは、僕の顔が父にだけ似て、母とはまるで縁のない眼鼻立にでき上っている事であった。僕は今でも鏡を見るたびに、器量が落ちても構わないから、もっと母の人相を多量に受け継《つ》いでおいたら、母の子らしくってさぞ心持が好いだろうと思う。
食事の後《おく》れた如《ごと》く、寝る時間も順繰《じゅんぐり》に延びてだいぶ遅くなった。その上急に人数《にんず》が増えたので、床の位置やら部屋割をきめるだけが叔母に取っての一骨折《ひとほねおり》であった。男三人はいっしょに固められて、同じ蚊帳《かや》に寝た。叔父は肥《ふと》った身体《からだ》を持ち扱かって、団扇《うちわ》をしきりにばたばた云わした。
「市《いっ》さんどうだい、暑いじゃないか。これじゃ東京の方がよっぽど楽だね」
僕も僕の隣にいる吾一も東京の方が楽だと云った。それでは何を苦しんでわざわざ鎌倉|下《くだ》りまで出かけて来て、狭い蚊帳へ押し合うように寝るんだか、叔父にも吾一にも僕にも説明のしようがなかった。
「これも一興《いっきょう》だ」
疑問は叔父の一句でたちまち納《おさま》りがついたが、暑さの方はなかなか去らないので誰もすぐは寝つかれなかった。吾一は若いだけに、明日《あした》の魚捕《さかなとり》の事を叔父に向ってしきりに質問した。叔父はまた真面目《まじめ》だか冗談《じょうだん》だか、船に乗りさえすれば、魚の方で風《ふう》を望《のぞ》んで降《くだ》るような旨《うま》い話をして聞かせた。それがただ自分の伜《せがれ》を相手にするばかりでなく、時々はねえ市さんと、そんな事にまるで冷淡の僕まで聴手《ききて》にするのだから少し変であった。しかし僕の方はそれに対して相当な挨拶《あいさつ》をする必要があるので、話の済む前には、僕は当然同行者の一人《いちにん》として受答《うけこたえ》をするようになっていた。僕は固《もと》より行くつもりでも何でもなかったのだから、この変化は僕に取って少し意外の感があった。気楽そうに見える叔父はそのうち大きな鼾声《いびき》をかき始めた。吾一もすやすや寝入《ねい》った。ただ僕だけは開《あ》いている眼をわざと閉じて、更《ふ》けるまでいろいろな事を考えた。
二十
翌日《あくるひ》眼が覚《さ》めると、隣に寝ていた吾一の姿がいつの間にかもう見えなくなっていた。僕は寝足らない頭を枕の上に着けて、夢とも思索とも名のつかない路《みち》を辿《たど》りながら、時々別種の人間を偸《ぬす》み見るような好奇心をもって、叔父の寝顔を眺《なが》めた。そうして僕も寝ている時は、傍《はた》から見ると、やはりこう苦《く》がない顔をしているのだろうかと考えなどした。そこへ吾一が這入《はい》って来て、市《いっ》さんどうだろう天気はと相談した。ちょっと起きて見ろと促《うな》がすので、起き上って縁側《えんがわ》へ出ると、海の方には一面に柔かい靄《もや》の幕がかかって、近い岬《みさき》の木立さえ常の色には見えなかった。降ってるのかねと僕は聞いた。吾一はすぐ庭先へ飛び下りて、空を眺《なが》め出したが、少し降ってると答えた。
彼は今日の船遊びの中止を深く気遣《きづか》うもののごとく、二人の姉まで縁側へ引張出して、しきりにどうだろうどうだろうをくり返した。しまいに最後の審判者たる彼の父の意見を必要と認めたものか、まだ寝ている叔父をとうとう呼び起した。叔父は天気などはどうでも好いと云ったような眠たい眼をして、空と海を一応見渡した上、なにこの模様なら今にきっと晴れるよと云った。吾一はそれで安心したらしかったが、千代子は当《あて》にならない無責任な天気予報だから心配だと云って僕の顔を見た。僕は何とも云えなかった。叔父は、なに大丈夫大丈夫と受合って風呂場《ふろば》の方へ行った。
食事を済ます頃から霧のような雨が降り出した。それでも風がないので、海の上は平生よりもかえって穏《おだ》やかに見えた。あいにくな天気なので人の好い母はみんなに気の毒がった。叔母は今にきっと本降になるから今日は止したが好かろうと注意した。けれども若いものはことごとく行く方を主張した。叔父はじゃ御婆《おばあ》さんだけ残して、若いものが揃《そろ》って出かける事にしようと云った。すると叔母が、では御爺《おじい》さんはどっちになさるのとわざと叔父に聞いて、みんなを笑わした。
「今日はこれでも若いものの部だよ」
叔父はこの言葉を証拠立《しょうこだ》てるためだか何だか、さっそく立って浴衣《ゆかた》の尻を端折《はしょ》って下へ降りた。姉弟《きょうだい》三人もそのままの姿で縁から降りた。
「御前達も尻を捲《まく》るが好い」
「厭《いや》な事」
僕は山賊のような毛脛《けずね》を露出《むきだ》しにした叔父と、静御前《しずかごぜん》の笠《かさ》に似た恰好《かっこう》の麦藁帽《むぎわらぼう》を被《かぶ》った女二人と、黒い兵児帯《へこおび》をこま結びにした弟を、縁の上から見下して、全く都離れのした不思議な団体のごとく眺《なが》めた。
「市《いっ》さんがまた何か悪口を云おうと思って見ている」と百代子が薄笑いをしながら僕の顔を見た。
「早く降りていらっしゃい」と千代子が叱るように云った。
「市さんに悪い下駄《げた》を貸して上げるが好い」と叔父が注意した。
僕は一も二もなく降りたが、約束のある高木が来ないので、それがまた一つの問題になった。おおかたこの天気だから見合わしているのだろうと云うのが、みんなの意見なので、僕らがそろそろ歩いて行く間に、吾一が馳足《かけあし》で迎《むかえ》に行って連れて来る事にした。
叔父は例の調子でしきりに僕に話しかけた。僕も相手になっ
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