こしぐろう》をするからである。千代子が風のごとく自由に振舞うのは、先の見えないほど強い感情が一度に胸に湧《わ》き出るからである。彼女は僕の知っている人間のうちで、最も恐れない一人《いちにん》である。だから恐れる僕を軽蔑《けいべつ》するのである。僕はまた感情という自分の重みでけつまずきそうな彼女を、運命のアイロニーを解せざる詩人として深く憐《あわ》れむのである。否《いな》時によると彼女のために戦慄《せんりつ》するのである。
十三
須永《すなが》の話の末段は少し敬太郎《けいたろう》の理解力を苦しめた。事実を云えば彼はまた彼なりに詩人とも哲学者とも云い得る男なのかも知れなかった。しかしそれは傍《はた》から彼を見た眼の評する言葉で、敬太郎自身はけっしてどっちとも思っていなかった。したがって詩とか哲学とかいう文字も、月の世界でなければ役に立たない夢のようなものとして、ほとんど一顧に価《あたい》しないくらいに見限《みかぎ》っていた。その上彼は理窟《りくつ》が大嫌《だいきら》いであった。右か左へ自分の身体《からだ》を動かし得ないただの理窟は、いくら旨《うま》くできても彼には用のない贋造紙幣《がんぞうしへい》と同じ物であった。したがって恐れる男とか恐れない女とかいう辻占《つじうら》に似た文句を、黙って聞いているはずはなかったのだが、しっとりと潤《うるお》った身の上話の続きとして、感想がそこへ流れ込んで来たものだから、敬太郎もよく解らないながら素直に耳を傾むけなければすまなかったのである。
須永もそこに気がついた。
「話が理窟張《りくつば》ってむずかしくなって来たね。あんまり一人で調子に乗って饒舌《しゃべ》っているものだから」
「いや構わん。大変面白い」
「洋杖《ステッキ》の効果《ききめ》がありゃしないか」
「どうも不思議にあるようだ。ついでにもう少し先まで話す事にしようじゃないか」
「もう無いよ」
須永はそう云い切って、静かな水の上に眼を移した。敬太郎もしばらく黙っていた。不思議にも今聞かされた須永の詩だか哲学だか分らないものが、形の判然《はっきり》しない雲の峰のように、頭の中に聳《そび》えて容易に消えそうにしなかった。何事も語らないで彼の前に坐《すわ》っている須永自身も、平生の紋切形《もんきりがた》を離れた怪しい一種の人物として彼の眼に映じた。どうしてもまだ話の続きがあるに違ないと思った敬太郎は、今の一番しまいの物語はいつごろの事かと須永に尋ねた。それは自分の三年生ぐらいの時の出来事だと須永は答えた。敬太郎は同じ関係が過去一年余りの間にどういう径路を取ってどう進んで、今はどんな解釈がついているかと聞き返した。須永は苦笑して、まず外へ出てからにしようと云った。二人は勘定《かんじょう》を済まして外へ出た。須永は先へ立つ敬太郎の得意に振り動かす洋杖の影を見てまた苦笑した。
柴又《しばまた》の帝釈天《たいしゃくてん》の境内《けいだい》に来た時、彼らは平凡な堂宇《どうう》を、義理に拝ませられたような顔をしてすぐ門を出た。そうして二人共汽車を利用してすぐ東京へ帰ろうという気を起した。停車場《ステーション》へ来ると、間怠《まだ》るこい田舎《いなか》汽車の発車時間にはまだだいぶ間《ま》があった。二人はすぐそこにある茶店に入って休息した。次の物語はその時敬太郎が前約を楯《たて》に須永から聞かして貰ったものである。――
僕が大学の三年から四年に移る夏休みの出来事であった。宅《うち》の二階に籠《こも》ってこの暑中をどう暮らしたら宜《よ》かろうと思案していると、母が下から上《あが》って来て、閑《ひま》になったら鎌倉へちょっと行って来たらどうだと云った。鎌倉にはその一週間ほど前から田口のものが避暑に行っていた。元来叔父は余り海辺《うみべ》を好まない性質《たち》なので、一家《いっけ》のものは毎年軽井沢の別荘へ行くのを例にしていたのだが、その年は是非海水浴がしたいと云う娘達の希望を容《い》れて、材木座にある、ある人の邸宅《やしき》を借り入れたのである。移る前に千代子が暇乞《いとまごい》かたがた報知《しらせ》に来て、まだ行っては見ないけれども、山陰の涼しい崖《がけ》の上に、二段か三段に建てた割合手広な住居《すまい》だそうだから是非遊びに来いと母に勧めていたのを、僕は傍《そば》で聞いていた。それで僕は母にあなたこそ行って遊んで来たら気保養《きぼよう》になってよかろうと忠告した。母は懐《ふところ》から千代子の手紙を出して見せた。それには千代子と百代子の連名で、母と僕にいっしょに来るようにと、彼らの女親の命令を伝えるごとく書いてあった。母が行くとすれば年寄一人を汽車に乗せるのは心配だから、是非共僕がついて行かなければならなかった。変窟《へんくつ》な僕からいうと、そう混雑《ごたごた》した所へ二人で押しかけるのは、世話にならないにしても気の毒で厭《いや》だった。けれども母は行きたいような顔をした。そうしてそれが僕のために行きたいような顔に見えるので僕はますます厭になった。が、とどのつまりとうとう行く事にした。こう云っても人には通じないかも知れないが、僕は意地の強い男で、また意地の弱い男なのである。
十四
母は内気な性分なので平生《へいぜい》から余り旅行を好まなかった。昔風に重きをおかなければ承知しない厳格な父の生きている頃は外へもそうたびたびは出られない様子であった。現に僕は父と母が娯楽の目的をもっていっしょに家を留守にした例を覚えていない。父が死んで自由が利《き》くようになってからも、そう勝手な時に好きな所へ行く機会は不幸にして僕の母には与えられなかった。一人で遠くへ行ったり、長く宅《うち》を空《あ》けたりする便宜《べんぎ》を有《も》たない彼女は、母子《おやこ》二人の家庭にこうして幾年を老いたのである。
鎌倉へ行こうと思い立った日、僕は彼女のために一個の鞄《かばん》を携《たずさ》えて直行《ちょっこう》の汽車に乗った。母は車の動き出す時、隣に腰をかけた僕に、汽車も久しぶりだねと笑いながら云った。そう云われた僕にも実は余り頻繁《ひんぱん》な経験ではなかった。新らしい気分に誘われた二人の会話は平生《ふだん》よりは生々《いきいき》していた。何を話したか自分にもいっこう覚えのない事を、聞いたり聞かれたりして断続に任せているうちに車は目的地に着いた。あらかじめ通知をしてないので停車場《ステーション》には誰も迎《むかえ》に来ていなかったが、車を雇うとき某《なにがし》さんの別荘と注意したら、車夫はすぐ心得て引き出した。僕はしばらく見ないうちに、急に新らしい家の多くなった砂道を通りながら、松の間から遠くに見える畠中《はたなか》の黄色い花を美くしく眺《なが》めた。それはちょっと見るとまるで菜種の花と同じ趣《おもむき》を具《そな》えた目新らしいものであった。僕は車の上で、このちらちらする色は何だろうと考え抜いた揚句《あげく》、突然|唐茄子《とうなす》だと気がついたので独《ひと》りおかしがった。
車が別荘の門に着いた時、戸障子《としょうじ》を取り外《はず》した座敷の中に動く人の影が往来からよく見えた。僕はそのうちに白い浴衣《ゆかた》を着た男のいるのを見て、多分叔父が昨日《きのう》あたり東京から来て泊ってるのだろうと思った。ところが奥にいるものがことごとく僕らを迎えるために玄関へ出て来たのに、その男だけは少しも顔を見せなかった。もちろん叔父ならそのくらいの事はあるべきはずだと思って、座敷へ通って見ると、そこにも彼の姿は見えなかった。僕はきょろきょろしているうちに、叔母と母が汽車の中はさぞ暑かったろうとか、見晴しの好い所が手に入《い》って結構だとか、年寄の女だけに口数《くちかず》の多い挨拶《あいさつ》のやりとりを始めた。千代子と百代子は母のために浴衣を勧めたり、脱ぎ捨てた着物を晒干《さぼ》してくれたりした。僕は下女に風呂場へ案内して貰って、水で顔と頭を洗った。海岸からはだいぶ道程《みちのり》のある山手だけれども水は存外悪かった。手拭《てぬぐい》を絞《しぼ》って金盥《かなだらい》の底を見ていると、たちまち砂のような滓《おり》が澱《おど》んだ。
「これを御使いなさい」という千代子の声が突然|後《うしろ》でした。振り返ると、乾いた白いタオルが肩の所に出ていた。僕はタオルを受取って立ち上った。千代子はまた傍《そば》にある鏡台の抽出《ひきだし》から櫛《くし》を出してくれた。僕が鏡の前に坐《すわ》って髪を解かしている間、彼女は風呂場の入口の柱に身体《からだ》を持たして、僕の濡《ぬ》れた頭を眺めていたが、僕が何も云わないので、向うから「悪い水でしょう」と聞いた。僕は鏡の中を見たなり、どうしてこんな色が着いているのだろうと云った。水の問答が済んだとき、僕は櫛を鏡台の上に置いて、タオルを肩にかけたまま立ち上った。千代子は僕より先に柱を離れて座敷の方へ行こうとした。僕は藪《やぶ》から棒に後《うしろ》から彼女の名を呼んで、叔父はどこにいるかと尋ねた。彼女は立ち止まって振り返った。
「御父さんは四五日前ちょっといらしったけど、一昨日《おととい》また用が出来たって東京へ御帰りになったぎりよ」
「ここにゃいないのかい」
「ええ。なぜ。ことによると今日の夕方|吾一《ごいち》さんを連れて、またいらっしゃるかも知れないけども」
千代子は明日《あした》もし天気が好ければ皆《みんな》と魚を漁《と》りに行くはずになっているのだから、田口が都合して今日の夕方までに来てくれなければ困るのだと話した。そうして僕にも是非いっしょに行けと勧めた。僕は魚の事よりも先刻《さっき》見た浴衣《ゆかた》がけの男の居所が知りたかった。
十五
「先刻誰だか男の人が一人座敷にいたじゃないか」
「あれ高木さんよ。ほら秋子さんの兄さんよ。知ってるでしょう」
僕は知っているともいないとも答えなかった。しかし腹の中では、この高木と呼ばれる人の何者かをすぐ了解した。百代子の学校|朋輩《ほうばい》に高木秋子という女のある事は前から承知していた。その人の顔も、百代子といっしょに撮《と》った写真で知っていた。手蹟《しゅせき》も絵端書《えはがき》で見た。一人の兄が亜米利加《アメリカ》へ行っているのだとか、今帰って来たばかりだとかいう話もその頃耳にした。困らない家庭なのだろうから、その人が鎌倉へ遊びに来ているぐらいは怪しむに足らなかった。よしここに別荘を持っていたところで不思議はなかった。が、僕はその高木という男の住んでいる家を千代子から聞きたくなった。
「ついこの下よ」と彼女は云ったぎりであった。
「別荘かい」と僕は重ねて聞いた。
「ええ」
二人はそれ以外を語らずに座敷へ帰った。座敷では母と叔母がまだ海の色がどうだとか、大仏がどっちの見当にあたるとかいうさほどでもない事を、問題らしく聞いたり教えたりしていた。百代子は千代子に彼らの父がその日の夕方までに来ると云って、わざわざ知らせて来た事を告げた。二人は明日《あす》魚を漁《と》りに行く時の楽みを、今|眼《ま》の当りに描《えが》き出して、すでに手の内に握った人のごとく語り合った。
「高木さんもいらっしゃるんでしょう」
「市《いっ》さんもいらっしゃい」
僕は行かないと答えた。その理由として、少し宅《うち》に用があって、今夜東京へ帰えらなければならないからという説明を加えた。しかし腹の中ではただでさえこう混雑《ごたごた》しているところへ、もし田口が吾一でも連れて来たら、それこそ自分の寝る場所さえ無くなるだろうと心配したのである。その上僕は姉妹《きょうだい》の知っている高木という男に会うのが厭《いや》だった。彼は先刻《さっき》まで二人と僕の評判をしていたが、僕の来たのを見て、遠慮して裏から帰ったのだと百代子から聞いた時、僕はまず窮屈な思いを逃《のが》れて好かったと喜こんだ。僕はそれほど知らない人を怖《こわ》がる性分なのである。
僕の帰ると云うのを
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