ねと云って澄ましていた。僕はそれでも不安心だったから、ある日一時間の夕《ゆうべ》を僕と会食するために割《さ》かせて、彼の家の近所の洋食店で共に晩餐《ばんさん》を食いながら、ひそかに彼の様子を窺《うかが》った。彼は平生の通り落ちついていた。なに試験なんかどうにかこうにかやっつけまさあと受合ったところに、満更《まんざら》の虚勢も見えなかった。大丈夫かいと念を押した時、彼は急に情《なさけ》なそうな顔をして、人間の頭は思ったより堅固にできているもんですね、実は僕自身も怖《こわ》くってたまらないんですが、不思議にまだ壊れません、この様子ならまだ当分は使えるでしょうと云った。冗談《じょうだん》らしくもあり、また真面目《まじめ》らしくもあるこの言葉が、妙に憐《あわ》れ深い感じを僕に与えた。
八
若葉の時節が過ぎて、湯上《ゆあが》りの単衣《ひとえ》の胸に、団扇《うちわ》の風を入れたく思うある日、市蔵がまたふらりとやって来た。彼の顔を見るや否《いな》や僕が第一にかけた言葉は、試験はどうだったいという一語であった。彼は昨日《きのう》ようやくすんだと答えた。そうして明日《あす》からちょ
前へ
次へ
全462ページ中437ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング