で谷が急にいっぱいになったが最後、米など背負《しょ》って帰れる訳のものでない。森本は腹が減って仕方がないから、じっと仰向《あおむけ》に寝て、ただ空を眺《なが》めていたところが、しまいにぼんやりし出して、夜も昼もめちゃくちゃに分らなくなったそうである。
「そう長い間飲まず食わずじゃ、両便《りょうべん》とも留《と》まるでしょう」と敬太郎が聞くと、「いえ何、やっぱりありますよ」と森本はすこぶる気楽そうに答えた。

        九

 敬太郎《けいたろう》は微笑せざるを得なかった。しかしそれよりもおかしく感じたのは、森本の形容した大風の勢であった。彼らの一行が測量の途次|茫々《ぼうぼう》たる芒原《すすきはら》の中で、突然|面《おもて》も向けられないほどの風に出会った時、彼らは四《よ》つ這《ばい》になって、つい近所の密林の中へ逃げ込んだところが、一抱《ひとかかえ》も二抱《ふたかかえ》もある大木の枝も幹も凄《すさ》まじい音を立てて、一度に風から痛振《いたぶ》られるので、その動揺が根に伝わって、彼らの踏んでいる地面が、地震の時のようにぐらぐらしたと云うのである。
「それじゃたとい林の中へ逃げ込ん
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