ないところに、思いも寄らぬ形となって発現するだけである。万一彼女の眼にとまっても、彼女はそれをコスメチックで塗り堅めた僕の頭や羽二重《はぶたえ》の足袋《たび》で包んだ僕の足よりもありがたがらないだろう。要するに彼女から云えば、美くしいものを僕の上に永久浪費して、しだいしだいに結婚の不幸を嘆くに過ぎないのである。
 僕は自分と千代子を比較するごとに、必ず恐れない女と恐れる男という言葉をくり返したくなる。しまいにはそれが自分の作った言葉でなくって、西洋人の小説にそのまま出ているような気を起す。この間講釈好きの松本の叔父から、詩と哲学の区別を聞かされて以来は、恐れない女と恐れる男というと、たちまち自分に縁の遠い詩と哲学を想《おも》い出す。叔父は素人《しろうと》学問ながらこんな方面に興味を有《も》っているだけに、面白い事をいろいろ話して聞かしたが、僕を捕《つら》まえて「御前のような感情家は」と暗《あん》に詩人らしく僕を評したのは間違っている。僕に云わせると、恐れないのが詩人の特色で、恐れるのが哲人の運命である。僕の思い切った事のできずにぐずぐずしているのは、何より先に結果を考えて取越苦労《とり
前へ 次へ
全462ページ中320ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング