うから考えている。
自分はすべて文壇に濫用《らんよう》される空疎な流行語を藉《か》りて自分の作物の商標としたくない。ただ自分らしいものが書きたいだけである。手腕が足りなくて自分以下のものができたり、衒気《げんき》があって自分以上を装《よそお》うようなものができたりして、読者にすまない結果を齎《もたら》すのを恐れるだけである。
東京大阪を通じて計算すると、吾《わが》朝日新聞の購読者は実に何十万という多数に上っている。その内で自分の作物《さくぶつ》を読んでくれる人は何人あるか知らないが、その何人かの大部分はおそらく文壇の裏通りも露路《ろじ》も覗《のぞ》いた経験はあるまい。全くただの人間として大自然の空気を真率《しんそつ》に呼吸しつつ穏当に生息しているだけだろうと思う。自分はこれらの教育あるかつ尋常なる士人の前にわが作物を公《おおやけ》にし得る自分を幸福と信じている。
「彼岸過迄《ひがんすぎまで》」というのは元日から始めて、彼岸過まで書く予定だから単にそう名づけたまでに過ぎない実は空《むな》しい標題《みだし》である。かねてから自分は個々の短篇を重ねた末に、その個々の短篇が相合して一長篇を
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