るから、今度こそは長い間休んだ埋合《うめあわ》せをするつもりであると公言する勇気が出ない。そこに一種の苦痛が潜《ひそ》んでいるのである。
この作を公《おおやけ》にするにあたって、自分はただ以上の事だけを言っておきたい気がする。作の性質だの、作物に対する自己の見識だの主張だのは今述べる必要を認めていない。実をいうと自分は自然派の作家でもなければ象徴派の作家でもない。近頃しばしば耳にするネオ浪漫派《ローマンは》の作家ではなおさらない。自分はこれらの主義を高く標榜《ひょうぼう》して路傍《ろぼう》の人の注意を惹《ひ》くほどに、自分の作物が固定した色に染つけられているという自信を持ち得ぬものである。またそんな自信を不必要とするものである。ただ自分は自分であるという信念を持っている。そうして自分が自分である以上は、自然派でなかろうが、象徴派でなかろうが、ないしネオのつく浪漫派でなかろうが全く構わないつもりである。
自分はまた自分の作物を新しい新しいと吹聴《ふいちょう》する事も好まない。今の世にむやみに新しがっているものは三越呉服店とヤンキーとそれから文壇における一部の作家と評家だろうと自分はと
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