慎しんでいると断わりながら、注《つ》いでやりさえすれば、すぐ猪口《ちょく》を空《から》にした。しまいにはもう止しましょうという口の下から、自分で徳利の尻を持ち上げた。彼は平生から閑静なうちにどこか気楽な風を帯びている男であったが、猪口を重ねるにつれて、その閑静が熱《ほて》ってくる、気楽はしだいしだいに膨脹《ぼうちょう》するように見えた。自分でも「こうなりゃ併呑自若《へいどんじじゃく》たるもんだ。明日《あした》免職になったって驚ろくんじゃない」と威張り出した。敬太郎が飲めない口なので、時々思い出すように、盃《さかずき》に唇《くちびる》を付けて、付合《つきあ》っているのを見て、彼は、
「田川さん、あなた本当に飲《い》けないんですか、不思議ですね。酒を飲まない癖《くせ》に冒険を愛するなんて。あらゆる冒険は酒に始まるんです。そうして女に終るんです」と云った。彼はつい今まで自分の過去を碌《ろく》でなしのように蹴《け》なしていたのに、酔ったら急に模様が変って、後光《ごこう》が逆《ぎゃく》に射すとでも評すべき態度で、気※[#「(諂−言)+炎」、第3水準1−87−64]《きえん》を吐《は》き始めた。そ
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