え。よっぽど不景気なんだね。もっとも明治も四十何年というんだから、そのはずには違ないが」
 森本はここまで来て少し首を傾《かし》げて、自分の哲理を自分で噛《か》みしめるような素振《そぶり》をした。敬太郎は相手の様子を見て、それほど滑稽《こっけい》とも思わなかったが、心の内で、この男は心得があってわざとこんな言葉遣《ことばづかい》をするのだろうか、または無学の結果こうよりほか言い現わす手段《てだて》を知らないのだろうかと考えた。すると森本が傾《かし》げた首を急に竪《たて》に直した。
「どうです、御厭《おいや》でなきゃ、鉄道の方へでも御出《おで》なすっちゃ。何なら話して見ましょうか」
 いかな浪漫的《ロマンチック》な敬太郎もこの男に頼んだら好い地位が得られるとは想像し得なかった。けれどもさも軽々と云って退《の》ける彼の愛嬌《あいきょう》を、翻弄《ほんろう》と解釈するほどの僻《ひがみ》ももたなかった。拠処《よんどころ》なく苦笑しながら、下女を呼んで、
「森本さんの御膳《おぜん》もここへ持って来るんだ」と云いつけて、酒を命じた。

        七

 森本は近頃|身体《からだ》のために酒を
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