太郎は遺伝的に平凡を忌《い》む浪漫趣味《ロマンチック》の青年であった。かつて東京の朝日新聞に児玉音松《こだまおとまつ》とかいう人の冒険談が連載された時、彼はまるで丁年《ていねん》未満の中学生のような熱心をもって毎日それを迎え読んでいた。その中《うち》でも音松君が洞穴の中から躍《おど》り出す大蛸《おおだこ》と戦った記事を大変面白がって、同じ科の学生に、君、蛸の大頭を目がけて短銃《ピストル》をポンポン打つんだが、つるつる滑《すべ》って少しも手応《てごたえ》がないというじゃないか。そのうち大将の後からぞろぞろ出て来た小蛸《こだこ》がぐるりと環《わ》を作って彼を取り巻いたから何をするのかと思うと、どっちが勝つか熱心に見物しているんだそうだからねと大いに乗気で話した事がある。するとその友達が調戯《からかい》半分に、君のような剽軽《ひょうきん》ものはとうてい文官試験などを受けて地道《じみち》に世の中を渡って行く気になるまい、卒業したら、いっその事思い切って南洋へでも出かけて、好きな蛸狩《たこがり》でもしたらどうだと云ったので、それ以来「田川《たがわ》の蛸狩」という言葉が友達間にだいぶ流行《はや》り
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