た。日は高く上《のぼ》っているが、地面から吸い上げられる水蒸気はいまだに微《かす》かな波動を地平線の上に描《えが》いているらしい感じがした。
「今朝の景色《けしき》は寝坊《ねぼう》のあなたに見せたいようだった。何しろ日がかんかん当ってる癖《くせ》に靄《もや》がいっぱいなんでしょう。電車をこっちから透《す》かして見ると、乗客がまるで障子《しょうじ》に映る影画《かげえ》のように、はっきり一人《ひとり》一人見分けられるんです。それでいて御天道様《おてんとさま》が向う側にあるんだからその一人一人がどれもこれもみんな灰色の化物に見えるんで、すこぶる奇観でしたよ」
 森本はこんな話をしながら、紙屋へ這入《はい》って巻紙と状袋で膨《ふく》らました懐《ふところ》をちょっと抑えながら出て来た。表に待っていた敬太郎はすぐ今来た道の方へ足を向け直した。二人はそのままいっしょに下宿へ帰った。上靴《スリッパー》の踵《かかと》を鳴らして階段《はしごだん》を二つ上《のぼ》り切った時、敬太郎は自分の部屋の障子を手早く開けて、
「さあどうぞ」と森本を誘《いざな》った。森本は、
「もう直《じき》午飯《ひる》でしょう」と云
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