涎掛《よだれかけ》だけが残っていた。敬太郎の頭にはその時から怪しい色をした雲が少し流れ込んだ。その雲が身体《からだ》の具合や四辺《あたり》の事情で、濃くなったり薄くなったりする変化はあるが、成長した今日《こんにち》に至るまで、いまだに抜け切らずにいた事だけはたしかである。
こういう訳《わけ》で、彼は明治の世に伝わる面白い職業の一つとして、いつでも大道占《だいどううらな》いの弓張提灯《ゆみはりぢょうちん》を眺《なが》めていた。もっとも金を払って筮竹《ぜいちく》の音を聞くほどの熱心はなかったが、散歩のついでに、寒い顔を提灯の光に映した女などが、悄然《しょんぼり》そこに立っているのを見かけると、この暗い影を未来に投げて、思案に沈んでいる憐《あわ》れな人に、易者《えきしゃ》がどんな希望と不安と畏怖《いふ》と自信とを与えるだろうという好奇心に惹《ひ》かされて、面白半分、そっと傍へ寄って、陰の方から立聞《たちぎき》をする事がしばしばあった。彼の友の某《なにがし》が、自分の脳力に悲観して、試験を受けようか学校をやめようかと思い煩《わずら》っている頃、ある人が旅行のついでに、善光寺如来《ぜんこうじに
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