、そう働らいて身体《からだ》を壊しちゃ何にもならないから、たまには骨休めをなさいよ、身体が資本《もとで》じゃありませんかと申しますと、おいらもそう思ってるんだが、それからそれへと用が湧《わ》いてくるんで、傍《そば》から掬《しゃ》くい出さないと、用が腐っちまうから仕方がないなんて笑って取り合いませんので。そうかと思うとまた妹や娘に今日はこれから鎌倉へ伴《つ》れて行く、さあすぐ支度をしろって、まるで足元から鳥が立つように急《せ》き立てる事もございますが……」
「御嬢さんがおありなのですか」
「ええ二人おります。いずれも年頃でございますから、もうそろそろどこかへ片づけるとか婿《むこ》を取るとかしなければなりますまいが」
「そのうちの一人の方《かた》が、須永君のところへ御出《おいで》になる訳でもないんですか」
 母はちょっと口籠《くちごも》った。敬太郎もただ自分の好奇心を満足させるためにあまり立ち入った質問をかけ過ぎたと気がついた。何とかして話題を転じようと考えているうちに、相手の方で、
「まあどうなりますか。親達の考もございましょうし。当人達《とうにんたち》の存じ寄りもしかと聞糺《ききただ》して見ないと分りませんし。私ばかりでこうもしたい、ああもしたいといくら熱急《やきもき》思ってもこればかりは致し方がございません」と何だか意味のありそうな事を云った。一度|退《ひ》きかけた敬太郎の好奇心はこの答でまた打ち返して来そうにしたが、善《よ》くないという克己心《こっきしん》にすぐ抑えられた。
 母はなお田口の弁護をした。そんな忙がしい身体《からだ》だから、時によると心にもない約束違いなどをする事もあるが、いったん引き受けた以上は忘れる男ではないから、まあ旅行から帰るまで待って、緩《ゆっ》くり会ったら宜《よ》かろうという注意とも慰藉《いしゃ》ともつかない助言《じょごん》も与えた。
「矢来のはおっても会わん方で、これは仕方がございませんが、内幸町のはいないでも都合さえつけば馳《か》けて帰って来て会うといった風の性質《たち》でございますから、今度旅行から帰って来さえすれば、こっちから何とも云ってやらないでも、向うできっと市蔵のところへ何とか申して参りますよ。きっと」
 こう云われて見ると、なるほどそういう人らしいが、それはこっちがおとなしくしていればこそで、先刻《さっき》のようにぷんぷ
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