何のために馳《か》け込むようにこの家を襲《おそ》ったかの原因について、また新らしく考え出した。彼は須永の顔を見たら随分過激な言葉を使ってもその不都合を責めた上、僕はもう二度とあすこの門は潜《くぐ》らないつもりだから、そう思ってくれたまえぐらいの台詞《せりふ》を云って帰る気でいたのに、肝心《かんじん》の須永は留守《るす》で、事情も何も知らない彼の母から、逆《さか》さにいろいろな話をしかけられたので、怒《おこ》ってやろうという気は無論抜けてしまったのである。が、それでも行きがかり上、田口と会見を遂《と》げ得なかった顛末《てんまつ》だけは、一応この母の耳へでも構わないから入れておく必要があるだろう。それには話の中に内幸町へ行くとか行かないとかが問題になっている今が一番よかろう。――こう敬太郎は思った。

        十二

「実はその内幸町の方へ今日私も出たんですが」と云い出すと、自分の息子の事ばかり考えていた母は、「おやそうでございましたか」とやっと気がついてすまないという顔つきをした。この間から敬太郎《けいたろう》が躍起《やっき》になって口を探《さが》している事や、探しあぐんで須永《すなが》に紹介を頼んだ事や、須永がそれを引き受けて内幸町の叔父に会えるように周旋した事は、須永の傍《そば》にいる母として彼女《かのおんな》のことごとく見たり聞いたりしたところであるから、行き届いた人なら先方《さき》で何も云い出さない前に、こっちからどんな模様ですぐらいは聞いてやるべきだとでも思ったのだろう。こう観察した敬太郎は、この一句を前置に、今までの成行を残らず話そうと力《つと》めにかかったが、時々相手から「そうでございますとも」とか、「本当にまあ、間《ま》の悪い時にはね」とか、どっちにも同情したような間投詞が出るので、自分がむかっ腹《ぱら》を立てて悪体《あくたい》を吐《つ》いた事などは話のうちから綺麗《きれい》に抜いてしまった。須永の母は気の毒という言葉を何遍もくり返した後《あと》で、田口を弁護するようにこんな事を云った。――
「そりゃあ実のところ忙しい男なので。妹《いもと》などもああして一つ家に住んでおりますようなものの、――何でごさんしょう。――落々《おちおち》話のできるのはおそらく一週間に一日もございますまい。私が見かねて要作《ようさく》さんいくら御金が儲《もう》かるたって
前へ 次へ
全231ページ中47ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング