は卑怯だから、そう云う下らない挨拶《あいさつ》ができるんです。高木さんは紳士だからあなたを容《い》れる雅量がいくらでもあるのに、あなたは高木さんを容れる事がけっしてできない。卑怯だからです」
松本の話
一
それから市蔵と千代子との間がどうなったか僕は知らない。別にどうもならないんだろう。少なくとも傍《はた》で見ていると、二人の関係は昔から今日《こんにち》に至るまで全く変らないようだ。二人に聞けばいろいろな事を云うだろうが、それはその時限りの気分に制せられて、まことしやかに前後に通じない嘘《うそ》を、永久の価値あるごとく話すのだと思えば間違ない。僕はそう信じている。
あの事件ならその当時僕も聞かされた。しかも両方から聞かされた。あれは誤解でも何でもない。両方でそう信じているので、そうしてその信じ方に両方とも無理がないのだから、極《きわ》めてもっともな衝突と云わなければならない。したがって夫婦になろうが、友達として暮らそうが、あの衝突だけはとうてい免《まぬ》かれる事のできない、まあ二人の持って生れた、因果《いんが》と見るよりほかに仕方がなかろう。ところが不幸にも二人はある意味で密接に引きつけられている。しかもその引きつけられ方がまた傍《はた》のものにどうする権威もない宿命の力で支配されているんだから恐ろしい。取り澄ました警句を用いると、彼らは離れるために合い、合うために離れると云った風の気の毒な一対《いっつい》を形づくっている。こう云って君に解るかどうか知らないが、彼らが夫婦になると、不幸を醸《かも》す目的で夫婦になったと同様の結果に陥《おち》いるし、また夫婦にならないと不幸を続ける精神で夫婦にならないのと択《えら》ぶところのない不満足を感ずるのである。だから二人の運命はただ成行《なりゆき》に任せて、自然の手で直接に発展させて貰《もら》うのが一番上策だと思う。君だの僕だのが何のかのと要《い》らぬ世話を焼くのはかえって当人達のために好くあるまい。僕は知っての通り、市蔵から見ても千代子から見ても他人ではない。ことに須永《すなが》の姉からは、二人の身分について今まで頼まれたり相談を受けたりした例《ためし》は何度もある。けれども天の手際《てぎわ》で旨《うま》く行かないものを、どうして僕の力で纏《まと》める事ができよう。つまり姉は無理な夢を自
前へ
次へ
全231ページ中206ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング