ついでが無かったもんだから、それにすぐ腐《わる》くなるんでね」
「わたしもいつか大磯《おおいそ》で誂《あつら》えてわざわざ東京まで持って帰った事があるが、よっぽど気をつけないと途中でね」
「腐るの」千代子が聞いた。
「叔母さん興津鯛《おきつだい》御嫌《おきらい》。あたしこれよか興津鯛の方が美味《おいし》いわ」と百代子が云った。
「興津鯛はまた興津鯛で結構ですよ」と母はおとなしい答をした。
こんなくだくだしい会話を、僕がなぜ覚えているかと云うと、僕はその時母の顔に表われた、さも満足らしい気持をよく注意して見ていたからであるが、もう一つは僕が母と同じように一塩《ひとしお》の小鰺《こあじ》を好いていたからでもある。
ついでだからここで云う。僕は自分の嗜好《しこう》や性質の上において、母に大変よく似たところと、全く違ったところと両方|有《も》っている。これはまだ誰にも話さない秘密だが、実は単に自分の心得として、過去幾年かの間、僕は母と自分とどこがどう違って、どこがどう似ているかの詳しい研究を人知れず重ねたのである。なぜそんな真似《まね》をしたかと母に聞かれては云い兼ねる。たとい僕が自分に聞き糺《ただ》して見ても判切《はっきり》云えなかったのだから、理由《わけ》は話せない。しかし結果からいうとこうである。――欠点でも母と共に具《そな》えているなら僕は大変|嬉《うれ》しかった。長所でも母になくって僕だけ有《も》っているとはなはだ不愉快になった。そのうちで僕の最も気になるのは、僕の顔が父にだけ似て、母とはまるで縁のない眼鼻立にでき上っている事であった。僕は今でも鏡を見るたびに、器量が落ちても構わないから、もっと母の人相を多量に受け継《つ》いでおいたら、母の子らしくってさぞ心持が好いだろうと思う。
食事の後《おく》れた如《ごと》く、寝る時間も順繰《じゅんぐり》に延びてだいぶ遅くなった。その上急に人数《にんず》が増えたので、床の位置やら部屋割をきめるだけが叔母に取っての一骨折《ひとほねおり》であった。男三人はいっしょに固められて、同じ蚊帳《かや》に寝た。叔父は肥《ふと》った身体《からだ》を持ち扱かって、団扇《うちわ》をしきりにばたばた云わした。
「市《いっ》さんどうだい、暑いじゃないか。これじゃ東京の方がよっぽど楽だね」
僕も僕の隣にいる吾一も東京の方が楽だと云った。それでは
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