交際場裏に棄《す》てられて、そのまま今日まで同じ所で人と成ったのだと評したかった。彼は十分と経たないうちに、すべての会話を僕の手から奪った。そうしてそれをことごとく一身に集めてしまった。その代り僕を除《の》け物《もの》にしないための注意を払って、時々僕に一句か二句の言葉を与えた。それがまた生憎《あいにく》僕には興味の乗らない話題ばかりなので、僕はみんなを相手にする事もできず、高木一人を相手にする訳にも行かなかった。彼は田口の叔母を親しげに御母さん御母さんと呼んだ。千代子に対しては、僕と同じように、千代ちゃんという幼馴染《おさななじみ》に用いる名を、自然に命ぜられたかのごとく使った。そうして僕に、先ほど御着になった時は、ちょうど千代ちゃんとあなたの御噂《おうわさ》をしていたところでしたと云った。
 僕は初めて彼の容貌を見た時からすでに羨《うらや》ましかった。話をするところを聞いて、すぐ及ばないと思った。それだけでもこの場合に僕を不愉快にするには充分だったかも知れない。けれどもだんだん彼を観察しているうちに、彼は自分の得意な点を、劣者の僕に見せつけるような態度で、誇り顔に発揮するのではなかろうかという疑が起った。その時僕は急に彼を憎《にく》み出した。そうして僕の口を利《き》くべき機会が廻って来てもわざと沈黙を守った。
 落ちついた今の気分でその時の事を回顧して見ると、こう解釈したのはあるいは僕の僻《ひが》みだったかも分らない。僕はよく人を疑ぐる代りに、疑ぐる自分も同時に疑がわずにはいられない性質《たち》だから、結局|他《ひと》に話をする時にもどっちと判然《はっきり》したところが云い悪《にく》くなるが、もしそれが本当に僕の僻《ひが》み根性《こんじょう》だとすれば、その裏面にはまだ凝結した形にならない嫉※[#「女+戸」、第3水準1−15−76]《しっと》が潜《ひそ》んでいたのである。

        十七

 僕は男として嫉※[#「女+戸」、第3水準1−15−76]の強い方か弱い方か自分にもよく解らない。競争者のない一人息子としてむしろ大事に育てられた僕は、少なくとも家庭のうちで嫉※[#「女+戸」、第3水準1−15−76]を起す機会を有《も》たなかった。小学や中学は自分より成績の好い生徒が幸いにしてそう無かったためか、至極《しごく》太平に通り抜けたように思う。高等学校から
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