まだ話の続きがあるに違ないと思った敬太郎は、今の一番しまいの物語はいつごろの事かと須永に尋ねた。それは自分の三年生ぐらいの時の出来事だと須永は答えた。敬太郎は同じ関係が過去一年余りの間にどういう径路を取ってどう進んで、今はどんな解釈がついているかと聞き返した。須永は苦笑して、まず外へ出てからにしようと云った。二人は勘定《かんじょう》を済まして外へ出た。須永は先へ立つ敬太郎の得意に振り動かす洋杖の影を見てまた苦笑した。
柴又《しばまた》の帝釈天《たいしゃくてん》の境内《けいだい》に来た時、彼らは平凡な堂宇《どうう》を、義理に拝ませられたような顔をしてすぐ門を出た。そうして二人共汽車を利用してすぐ東京へ帰ろうという気を起した。停車場《ステーション》へ来ると、間怠《まだ》るこい田舎《いなか》汽車の発車時間にはまだだいぶ間《ま》があった。二人はすぐそこにある茶店に入って休息した。次の物語はその時敬太郎が前約を楯《たて》に須永から聞かして貰ったものである。――
僕が大学の三年から四年に移る夏休みの出来事であった。宅《うち》の二階に籠《こも》ってこの暑中をどう暮らしたら宜《よ》かろうと思案していると、母が下から上《あが》って来て、閑《ひま》になったら鎌倉へちょっと行って来たらどうだと云った。鎌倉にはその一週間ほど前から田口のものが避暑に行っていた。元来叔父は余り海辺《うみべ》を好まない性質《たち》なので、一家《いっけ》のものは毎年軽井沢の別荘へ行くのを例にしていたのだが、その年は是非海水浴がしたいと云う娘達の希望を容《い》れて、材木座にある、ある人の邸宅《やしき》を借り入れたのである。移る前に千代子が暇乞《いとまごい》かたがた報知《しらせ》に来て、まだ行っては見ないけれども、山陰の涼しい崖《がけ》の上に、二段か三段に建てた割合手広な住居《すまい》だそうだから是非遊びに来いと母に勧めていたのを、僕は傍《そば》で聞いていた。それで僕は母にあなたこそ行って遊んで来たら気保養《きぼよう》になってよかろうと忠告した。母は懐《ふところ》から千代子の手紙を出して見せた。それには千代子と百代子の連名で、母と僕にいっしょに来るようにと、彼らの女親の命令を伝えるごとく書いてあった。母が行くとすれば年寄一人を汽車に乗せるのは心配だから、是非共僕がついて行かなければならなかった。変窟《へんくつ》な
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