とい》の気分の方が、清くて美くしい物を多量に含んでいたらしく考えて、その時味わった痛烈な悲哀をかえって恋しく思った。
七
骨上《こつあげ》には御仙《おせん》と須永《すなが》と千代子とそれに平生《ふだん》宵子《よいこ》の守をしていた清《きよ》という下女がついて都合|四人《よつたり》で行った。柏木《かしわぎ》の停車場《ステーション》を下りると二丁ぐらいな所を、つい気がつかずに宅《うち》から車に乗って出たので時間はかえって長くかかった。火葬場の経験は千代子に取って生れて始めてであった。久しく見ずにいた郊外の景色《けしき》も忘れ物を思い出したように嬉《うれ》しかった。眼に入るものは青い麦畠《むぎばたけ》と青い大根畠と常磐木《ときわぎ》の中に赤や黄や褐色を雑多に交ぜた森の色であった。前へ行く須永は時々|後《うしろ》を振り返って、穴八幡《あなはちまん》だの諏訪《すわ》の森《もり》だのを千代子に教えた。車が暗いだらだら坂へ来た時、彼はまた小高い杉の木立の中にある細長い塔を千代子のために指《ゆびさ》した。それには弘法大師《こうぼうだいし》千五十年|供養塔《くようとう》と刻《きざ》んであった。その下に熊笹《くまざさ》の生い茂った吹井戸を控えて、一軒の茶見世が橋の袂《たもと》をさも田舎路《いなかみち》らしく見せていた。折々坊主になりかけた高い樹の枝の上から、色の変った小さい葉が一つずつ落ちて来た。それが空中で非常に早くきりきり舞う姿が鮮《あざ》やかに千代子の眼を刺戟《しげき》した。それが容易に地面の上へ落ちずに、いつまでも途中でひらひらするのも、彼女には眼新らしい現象であった。
火葬場は日当りの好い平地《ひらち》に南を受けて建てられているので、車を門内に引き入れた時、思ったより陽気な影が千代子の胸に射した。御仙が事務所の前で、松本ですがと云うと、郵便局の受付口みたような窓の中に坐っていた男が、鍵《かぎ》は御持ちでしょうねと聞いた。御仙は変な顔をして急に懐《ふところ》や帯の間を探り出した。
「とんだ事をしたよ。鍵を茶の間の用箪笥《ようだんす》の上へ置いたなり……」
「持って来なかったの。じゃ困るわね。まだ時間があるから急いで市《いっ》さんに取って来て貰うと好いわ」
二人の問答を後《うしろ》の方で冷淡に聞いていた須永は、鍵なら僕が持って来ているよと云って、冷たい重
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