憚《はば》かられたり気をおかれたりする資格さえないように自分を見縊《みくび》っていただけに、経験の程度の違う年長者から、自分の思《おも》わくと違う待遇を受けるのをむしろ不思議に考え出した。
「私はそんな裏表のある人間と見えますかね」
「どうだか、そんな細かい事は初めて会っただけじゃ分らないですよ。しかしあっても無くっても、僕の君に対する待遇にはいっこう関係がないからいいじゃありませんか」
「けれども田口さんからそう思われちゃ……」
「田口は君だからそう思うんじゃない、誰を見てもそう思うんだから仕方がないさ。ああして長い間人を使ってるうちには、だいぶ騙《だま》されなくっちゃならないからね。たまに自然そのままの美くしい人間が自分の前に現われて来ても、やっぱり気が許せないんです。それがああ云う人の因果《いんが》だと思えばそれで好いじゃないか。田口は僕の義兄だから、こう云うと変に聞えるが、本来は美質なんです。けっして悪い男じゃない。ただああして何年となく事業の成功という事だけを重《おも》に眼中に置いて、世の中と闘かっているものだから、人間の見方が妙に片寄って、こいつは役に立つだろうかとか、こいつは安心して使えるだろうかとか、まあそんな事ばかり考えているんだね。ああなると女に惚《ほ》れられても、こりゃ自分に惚れたんだろうか、自分の持っている金に惚れたんだろうか、すぐそこを疑ぐらなくっちゃいられなくなるんです。美人でさえそうなんだから君見たいな野郎が窮屈な取扱を受けるのは当然だと思わなくっちゃいけない。そこが田口の田口たるところなんだから」
敬太郎はこの批評で田口という男が自分にも判切《はっきり》呑み込めたような気がした。けれどもこういう風に一々彼を肯《うけが》わせるほどの判断を、彼の頭に鉄椎《てっつい》で叩《たた》き込むように入れてくれる松本はそもそも何者だろうか、その点になると敬太郎は依然として茫漠《ぼうばく》たる雲に対する思があった。批評に上《のぼ》らない前の田口でさえ、この男よりはかえって活きた人間らしい気がした。
同じ松本について見ても、この間の晩神田の洋食屋で、田口の娘を相手にして珊瑚樹《さんごじゅ》の珠《たま》がどうしたとかこうしたとか云っていた時の方が、よっぽど活きて動いていた。今彼の前に坐《すわ》っているのは、大きなパイプを銜《くわ》えた木像の霊が、口を利
前へ
次へ
全231ページ中121ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング