いたが、やがて判切《はっきり》した口調で、「いや知るまい」と断言した。「あの箆棒の田口に、一つ取柄《とりえ》があると云えば云われるのだが、あの男はね、いくら悪戯《いたずら》をしても、その悪戯をされた当人が、もう少しで恥を掻《か》きそうな際《きわ》どい時になると、ぴたりととめてしまうか、または自分がその場へ出て来て、当人の体面にかかわらない内に綺麗《きれい》に始末をつける。そこへ行くと箆棒《べらぼう》には違ないが感心なところがあります。つまりやりかたは悪辣《あくらつ》でも、結末には妙に温《あたた》かい情《なさけ》の籠《こも》った人間らしい点を見せて来るんです。今度の事でもおそらく自分一人で呑《の》み込んでいるだけでしょう。君が僕の家《うち》へ来なかったら、僕はきっとこの事件を知らずに済むんだったろう。自分の娘にだって、君の馬鹿を証明するような策略《さくりゃく》を、始めから吹聴《ふいちょう》するほど無慈悲《むじひ》な男じゃない。だからついでに悪戯《いたずら》も止せばいいんだがね、それがどうしても止せないところが、要するに箆棒です」
 田口の性格に対する松本のこういう批評を黙って聞いていた敬太郎は、自分の馬鹿な振舞《ふるまい》を顧《かえり》みる後悔よりも、自分を馬鹿にした責任者を怨《うら》むよりも、むしろ悪戯をした田口を頼もしいと思う心が、わが胸の裏《うち》で一番勝を制したのを自覚した。が、はたしてそういう人ならば、なぜ彼の前に出て話をしている間に、あんな窮屈な感じが起るのだろうという不審も自《おの》ずと萌《きざ》さない訳に行かなかった。
「あなたの御話でだいぶ田口さんが解って来たようですが、私はあの方《かた》の前へ出ると、何だか気が落ちつかなくって変に苦しいです」
「そりゃ向うでも君に気を許さないからさ」

        十四

 こう云われて見ると、田口が自分に気を許していない眼遣《めづかい》やら言葉つきやらがありありと敬太郎《けいたろう》の胸に、疑《うたがい》もない記憶として読まれた。けれども田口ほどの老巧のものに、何で学校を出たばかりの青臭《あおくさ》い自分が、それほど苦になるのか、敬太郎は全く合点《がてん》が行かなかった。彼は見た通りのままの自分で、誰の前へ出ても通用するものと今まで固く己《おの》れを信じていたのである。彼はただかような青年として、他《ひと》に
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