るかを説明してくれた。その説明は最も簡単にすむだけに最も敬太郎《けいたろう》を驚ろかした。それを一言でいうと、田口と松本は近い親類の間柄だったのである。松本に二人の姉があって、一人が須永《すなが》の母、一人が田口の細君、という互の縁続きを始めて呑《の》み込んだ時、敬太郎は、田口の義弟に当る松本が、叔父という資格で、彼の娘と時間を極《きわ》めて停留所で待ち合わした上、ある料理店で会食したという事実を、世間の出来事のうちで最も平凡を極めたものの一つのように見た。それを込み入った文《あや》でも隠しているように、一生懸命に自分の燃やした陽炎《かげろう》を散らつかせながら、後《あと》を追《おっ》かけて歩いたのが、さもさも馬鹿馬鹿しくなって来た。
「御嬢さんは何でまたあすこまで出張《でば》っていたんですか。ただ私を釣るためなんですか」
「何須永へ行った帰りなんです。僕が田口で話していると、あの子が電話をかけて、四時半頃あすこで待ち合せているから、ちょっと帰りに降りてくれというんです。面倒だから止そうと思ったけれども、是非何とかかとかいうから、降りたところがね。今朝《けさ》御父さんから聞いたら、叔父さんが御歳暮《おせいぼ》に指環《ゆびわ》を買ってやると云っていたから、停留所で待ち伏せをして、逃《にが》さないようにいっしょに行って買って貰えと云われたから先刻《さっき》からここで待っていたんだって、人の知りもしないのに、一人で勝手な請求を持ち出してなかなか動かない。仕方がないから、まあ西洋料理ぐらいでごまかしておこうと思って、とうとう宝亭へ連れ込んだんです。――実に田口という男は箆棒《べらぼう》だね。わざわざそれほどの手数《てかず》をかけて、何もそんな下らない真似《まね》をするにも当らないじゃないか。騙《だま》された君よりもよっぽど田口の方が箆棒ですよ」
敬太郎には騙された自分の方が遥《はる》かに愚物《ぐぶつ》に思われた。そうと知ったら、探偵の結果を報告する時にも、もう少しは手加減が出来たものをと、自《おのず》から赧《あか》い顔もしなければならなかった。
「あなたはまるで御承知ない事なんですね」
「知るものかね、君。いくら高等遊民だって、そんな暇の出るはずがないじゃありませんか」
「御嬢さんはどうでしょう。多分御存じなんだろうと思いますが」
「そうさ」と云って松本はしばらく思案して
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