られる訳のものでないと固く信じていたから、この評価に対してそれほどの苦痛も感じなかった。その代り正直と賞《ほ》められた事も大した嬉《うれ》しさにはならなかった。このくらいの正直さ加減は全くの世間並に過ぎないと彼には見えたからである。
六
敬太郎《けいたろう》は先刻《さっき》から頭の上らない田口の前で、たった一言《ひとこと》で好いから、思い切った自分の腹をずばりと云って見たいと考えていたが、ここで云わなければもう云う機会はあるまいという気がこの時ふと萌《きざ》した。
「要領を得ない結果ばかりで私もはなはだ御気の毒に思っているんですが、あなたの御聞きになるような立ち入った事が、あれだけの時間で、私のような迂闊《うかつ》なものに見極《みきわ》められる訳はないと思います。こういうと生意気に聞こえるかも知れませんが、あんな小刀細工をして後《あと》なんか跟《つ》けるより、直《じか》に会って聞きたい事だけ遠慮なく聞いた方が、まだ手数《てかず》が省《はぶ》けて、そうして動かない確かなところが分りゃしないかと思うのです」
これだけ云った敬太郎は、定めて世故《せこ》に長《た》けた相手から笑われるか、冷かされる事だろうと考えて田口の顔を見た。すると田口は案外にもむしろ真面目《まじめ》な態度で「あなたにそれだけの事が解っていましたか。感心だ」と云った。敬太郎はわざと答を控えていた。
「あなたのいう方法は最も迂闊のようで、最も簡便なまた最も正当な方法ですよ。そこに気がついていれば人間として立派なものです」と田口が再びくり返した時、敬太郎はますます返答に窮した。
「それほどの考《かんがえ》がちゃんとあるあなたに、あんなつまらない仕事を御頼《おたのみ》申したのは私《わたし》が悪かった。人物を見損《みそく》なったのも同然なんだから。が、市蔵があなたを紹介する時に、そう云いましたよ。あなたは探偵のやるような仕事に興味を有《も》っておいでだって。それでね、ついとんでもない事を御願いして。止《よ》しゃあよかった……」
「いえ須永《すなが》君にはそう云う意味の事をたしかに話した覚えがあります」と敬太郎は苦しい思《おもい》をして答えた。
「そうでしたか」
田口は敬太郎の矛盾をこの一句で切り棄《す》てたなり、それ以上に追窮する愚《ぐ》をあえてしなかった。そうして問題をすぐ改めて見せた
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