ば観音様《かんのんさま》の繁華《はんか》を耳にした。仲見世《なかみせ》だの、奥山《おくやま》だの、並木《なみき》だの、駒形《こまかた》だの、いろいろ云って聞かされる中には、今の人があまり口にしない名前さえあった。広小路に菜飯《なめし》と田楽《でんがく》を食わせるすみ屋という洒落《しゃれ》た家があるとか、駒形の御堂の前の綺麗《きれい》な縄暖簾《なわのれん》を下げた鰌屋《どじょうや》は昔《むか》しから名代《なだい》なものだとか、食物《くいもの》の話もだいぶ聞かされたが、すべての中《うち》で最も敬太郎の頭を刺戟《しげき》したものは、長井兵助《ながいひょうすけ》の居合抜《いあいぬき》と、脇差《わきざし》をぐいぐい呑《の》んで見せる豆蔵《まめぞう》と、江州伊吹山《ごうしゅういぶきやま》の麓《ふもと》にいる前足が四つで後足《あとあし》が六つある大蟇《おおがま》の干し固めたのであった。それらには蔵《くら》の二階の長持の中にある草双紙《くさぞうし》の画解《えとき》が、子供の想像に都合の好いような説明をいくらでも与えてくれた。一本歯の下駄《げた》を穿《は》いたまま、小さい三宝《さんぼう》の上に曲《しゃ》がんだ男が、襷《たすき》がけで身体《からだ》よりも高く反《そ》り返った刀を抜こうとするところや、大きな蝦蟆《がま》の上に胡坐《あぐら》をかいて、児雷也《じらいや》が魔法か何か使っているところや、顔より大きそうな天眼鏡《てんがんきょう》を持った白い髯の爺さんが、唐机《とうづくえ》の前に坐って、平突《へいつく》ばったちょん髷《まげ》を上から見下《みおろ》すところや、大抵の不思議なものはみんな絵本から抜け出して、想像の浅草に並んでいた。こういう訳で敬太郎の頭に映る観音の境内《けいだい》には、歴史的に妖嬌陸離《ようきょうりくり》たる色彩が、十八間の本堂を包んで、小供の時から常に陽炎《かげろ》っていたのである。東京へ来てから、この怪しい夢は固《もと》より手痛く打ち崩《くず》されてしまったが、それでも時々は今でも観音様の屋根に鵠《こう》の鳥《とり》が巣を食っているだろうぐらいの考にふらふらとなる事がある。今日も浅草へ行ったらどうかなるだろうという料簡《りょうけん》が暗《あん》に働らいて、足が自《おの》ずとこっちに向いたのである。しかしルナパークの後《うしろ》から活動写真の前へ出た時は、こりゃ占《う
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