にえ》きらない思いに悩んでいる姿になってしまった。須永の母の保証するところでは、田口という老人は見かけに寄らない親切気のある人だそうだから、あるいは旅行から帰って来た上で、また改めて会ってくれないとも限らない。が、こっちからもう一遍会見の都合を問い合せたりなどして、常識のない馬鹿だと軽蔑《さげす》まれてもつまらない。けれどもどの道突き抜けた心持をしっかり捕《つら》まえるためには馬鹿と云われるまでも、そこまで突っかけて行く必要があるだろう。――敬太郎は屈託しながらもいろいろ考えた。

        十五

 けれども身の一大事を即座に決定するという非常な場合と違って、敬太郎《けいたろう》の思案には屈託の裏《うち》に、どこか呑気《のんき》なものがふわふわしていた。この道をとどのつまりまで進んで見ようか、またはこれぎりやめにして、さらに新らしいものに移る支度をしようか。問題は煎《せん》じつめるまでもなく当初から至極《しごく》簡単にでき上っていたのである。それに迷うのは、一度|籤《くじ》を引き損《そく》なったが最後、もう浮ぶ瀬はないという非道《ひど》い目に会うからではなくって、どっちに転んでも大した影響が起らないため、どうでも好いという怠けた心持がいつしらず働らくからである。彼は眠い時に本を読む人が、眠気《ねむけ》に抵抗する努力を厭《いと》いながら、文字の意味を判明《はっきり》頭に入れようと試みるごとく、呑気《のんき》の懐《ふところ》で決断の卵を温めている癖に、ただ旨《うま》く孵化《かえ》らない事ばかり苦にしていた。この不決断を逃《のが》れなければという口実の下《もと》に、彼は暗《あん》に自分の物数奇《ものずき》に媚《こ》びようとした。そうして自分の未来を売卜者《うらないしゃ》の八卦《はっけ》に訴えて判断して見る気になった。彼は加持《かじ》、祈祷《きとう》、御封《ごふう》、虫封《むしふう》じ、降巫《いちこ》の類《たぐい》に、全然信仰を有《も》つほど、非科学的に教育されてはいなかったが、それ相当の興味は、いずれに対しても昔から今日《こんにち》まで失わずに成長した男である。彼の父は方位九星《ほういきゅうせい》に詳しい神経家であった。彼が小学校へ行く時分の事であったが、ある日曜日に、彼の父は尻を端折《はしょ》って、鍬《くわ》を担《か》ついだまま庭へ飛び下りるから、何をするのかと
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