たなり、今日《こんにち》まで気にもかけずにいた。しかしこの四五日ぼんやり屈託《くったく》しているうちによくよく考えて見ると、彼自身が今までに、何一つ突き抜いて痛快だという感じを得た事のないのは、坊主にならない前のこの宗教家の心にどこか似た点があるようである。もちろん自分のは比較にならないほど微弱で、しかも性質がまるで違っているから、この坊さんのようにえらい勇断をする必要はない。もう少し奮発して気張《きば》る事さえ覚えれば、当っても外《はず》れても、今よりはまだ痛快に生きて行かれるのに、今日《こんにち》までついぞそこに心を用いる事をしなかったのである。
 敬太郎は一人でこう考えて、どこへでも進んで行こうと思ったが、また一方では、もうすっぽ抜けの後《あと》の祭のような気がして、何という当《あて》もなくまた三四日《さんよっか》ぶらぶらと暮した。その間に有楽座へ行ったり、落語を聞いたり、友達と話したり、往来を歩いたり、いろいろやったが、いずれも薬缶頭《やかんあたま》を攫《つか》むと同じ事で、世の中は少しも手に握れなかった。彼は碁《ご》を打ちたいのに、碁を見せられるという感じがした。そうして同じ見せられるなら、もう少し面白い波瀾曲折《はらんきょくせつ》のある碁が見たいと思った。
 すると直《すぐ》須永と後姿の女との関係が想像された。もともと頭の中でむやみに色沢《つや》を着けて奥行《おくゆき》のあるように組み立てるほどの関係でもあるまいし、あったところが他《ひと》の事を余計なおせっかいだと、自分で自分を嘲《あざ》けりながら、ああ馬鹿らしいと思う後《あと》から、やっぱり何かあるだろうという好奇心が今のようにちょいちょいと閃《ひら》めいて来るのである。そうしてこの道をもう少し辛抱強く先へ押して行ったら、自分が今まで経験した事のない浪漫的《ロマンチック》な或物にぶつかるかも知れないと考え出す。すると田口の玄関で怒《おこ》ったなり、あの女の研究まで投げてしまった自分の短気を、自分の好奇心に釣り合わない弱味だと思い始める。
 職業についても、あんな些細《ささい》な行違《ゆきちがい》のために愛想《あいそ》づかしをたとい一句でも口にして、自分と田口の敷居を高くするはずではなかったと思う。あれでできるともできないとも、まだ方《かた》のつかない未来を中途半端に仕切ってしまった。そうして好んで煮《
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