》ての記事を読破《どくは》したという事である。山県君は第一その語学の力に驚ろいていた。和蘭語《オランダご》でも何でも自由に読むといって呆《あき》れたような顔をして余に語った。述作《じゅっさく》の際非常に頭を使う結果として、しまいには天を仰《あお》いで昏倒《こんとう》多時にわたる事があるので、奥さんが大変心配したという話も聞いた。そればかりではない、先生は単にこの著作を完成するために、日本語と漢字の研究まで積まれたのである。山県君は先生の技倆《ぎりょう》を疑って、六《む》ずかしい漢字を先生に書かして見たら、旨《うま》くはないが、劃《かく》だけは間違なく立派に書いたといって感心していた。これらの準備からなる先生の『日本歴史』は、悉《ことごと》く材料を第一の源《みなもと》から拾い集めて大成したもので、儲《もう》からない保証があると同時に、学者の良心に対して毫《ごう》も疚《や》ましからぬ徳義的な著作であるのはいうまでもない。
「余は人間に能《あと》う限りの公平と無私とを念じて、栄誉ある君の国の歴史を今になお述作しつつある。従って余の著書は一部|人士《じんし》の不満を招くかも知れない。けれどもそ
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