人である。七歳の童児なりとも、我に勝《まさ》るものには我れ即《すなは》ち彼に問はん、百歳の老翁《らうをう》なりとも我に及ばざる者には我れ即ち侘《た》を教へんと云つて、南泉《なんせん》といふ禅坊さんの所へ行つて二十年間|倦《う》まずに修業を継続したのだから、卒業した時にはもう八十になつてしまつたのである。夫《それ》から趙州の観音院に移つて、始めて人を得度《とくど》し出した。さうして百二十の高齢に至る迄|化導《けだう》を専《もつぱ》らにした。
寿命は自分の極めるものでないから、固《もと》より予測は出来ない。自分は多病だけれども、趙州の初発心《しよほつしん》の時よりもまだ十年も若い。たとひ百二十|迄《まで》生きないにしても、力の続く間、努力すればまだ少しは何か出来る様に思ふ。それで私は天寿の許す限り趙州の顰《ひそみ》にならつて奮励する心組《こゝろくみ》でゐる。古仏と云《い》はれた人の真似《まね》も長命も、無論自分の分《ぶん》でないかも知れないけれども、羸弱《るゐじやく》なら羸弱《るゐじやく》なりに、現にわが眼前に開展する月日に対して、あらゆる意味に於《おい》ての感謝の意を致して、自己の天分
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