》いても下し得《う》べき理窟であるとすると、一生は終《つひ》に夢よりも不確実なものになつてしまはなければならない。
斯《か》ういふ見地から我《われ》といふものを解釈したら、いくら正月が来ても、自分は決して年齢《とし》を取る筈《はず》がないのである。年齢《とし》を取るやうに見えるのは、全く暦と鏡の仕業《しわざ》で、其《その》暦も鏡も実は無に等しいのである。
驚くべき事は、これと同時に、現在の我が天地を蔽《おほ》ひ尽して儼存《げんそん》してゐるといふ確実な事実である。一挙手一投足の末に至る迄《まで》此《この》「我《われ》」が認識しつゝ絶えず過去へ繰越《くりこ》してゐるといふ動かしがたい真境《しんきやう》である。だから其処《そこ》に眼を付けて自分の後《うしろ》を振り返ると、過去は夢|所《どころ》ではない。炳乎《へいこ》として明らかに刻下《こくか》の我を照《てら》しつゝある探照燈のやうなものである。従つて正月が来るたびに、自分は矢張り世間|並《なみ》に年齢《とし》を取つて老い朽ちて行かなければならなくなる。
生活に対する此《この》二つの見方が、同時にしかも矛盾なしに両存して、普通にいふ所
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